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マーケティングをしたパン屋の棚に、メロンパンばかり並ぶ理由

マーケティングというのは、現状の分析に基づいていかに商品を売れる状態にするか、ということです。元になるのは現状のデータであり、一番出やすい解は「今の売れ筋をもっとフィーチャーする」になります。

しかし、これをやり過ぎると、本当はもっと頑張っておけば売れた商品を捨てており、その商品のファンも失うことに繋がります。現状のデータを突き詰めて、売れ筋商品だけをピックアップし続けると、結果として多様性を失うのです。

こんなことを考えていたら、メゾンカイザーの社長さんが、まさにそのようなことを言っていたので抜粋します。

当時から日本にもパン屋さんは数多くありました。けれど、どこも似たようなパンばかり置いていて、あまり代わり映えがしなかった。どうしてだろう、と考えた末、それは売れるものを棚に置き、売れないものを棚から排除していく売り方に原因があるのではないか、と気づきました。

僕はマーケティングを勉強したことはありませんが、その考え方には疑問を抱いています。販売データを収集し、解析していく手法では、今起きている現象を説明したり、その延長線上に起こることを予測できたりはしても、まったく新しい市場を創造することはできない。

出典:http://style.nikkei.com/article/DGXMZO15276740T10C17A4000000?channel=DF180320167075&page=3

まさにおっしゃる通りで、基本的なマーケティングを突き詰めると、競合や自社、どこを見ても同じ商品の品ぞろえをやっている状態になります。
例えばパン屋さんが真剣にマーケティングをしたら、メロンパンがめちゃくちゃ売れているから、棚の商品の9割をメロンパンにしよう、とはなりませんね。
なぜならば、パン屋さんを訪れたお客さんの前にメロンパンばかり並んでいたら、変だからです。せいぜい2割くらいでしょう。
つまり、リアル店舗は訪れるお客さんが店舗内の商品カテゴリ全体を一度把握することが可能なため、売れ筋1位の商品のあっても棚を全部占めるということがありません。(似たような品ぞろえになることは、あるわけですが。)

しかし、インターネットの世界だとメロンパンばかり並ぶことがあり得るのです。

インターネットの世界では、全ての棚にメロンパンが並ぶ理由

インターネットの世界で商品(コンテンツ)にアクセスする方法の多くは、検索かランキングになります。検索というのは、顧客の需要がすでに顕在化している状態ですから、まさにマーケティング的に「すでにほしい商品(コンテンツ)」である必要があります。そして、一方のランキング上位に並ぶ商品(コンテンツ)は、人々の多くが欲しているものです。ランキングというのは、売れ筋の商品の可視化ですから、競合他社はランキングを見て、自分も似たような商品(コンテンツ)を作ろうとします。
そのように、インターネットのしくみは、メロンパンが棚を占拠しやすい状態になっているのです。

これが顕在化しているのが、アプリマーケットのランキングです。最近のソーシャルゲームは、ほとんど「ファンタジー&スペクタクル」的な世界観を打ち出しています。
ゆえに「たけしの挑戦状」のような、ファミコン界における伝説のクソゲーは、洗練されたマーケティングによって生み出されないのです。

しかし、このようにランキングによって商品(コンテンツ)を収れんさせていくと、母数となる顧客は実は減っているという現象が起こります。

パン屋の棚のほとんどがメロンパンになってしまったら、メロンパン好き以外の顧客は来ません。同様に、現状の「ファンタジー&スペクタクル」的な世界観のソーシャルゲームは、ターゲットとなる顧客を実はせばめているため、数百万人程度の顧客層が色々な会社のソーシャルゲームを横断してプレイしている状況なのかと思います。

マーケティングは、過去のデータに基づく最適化なので、実は顧客層をどんどんせばめて、商品(コンテンツ)を先鋭化させているかもしれないのです。

先鋭化する商品(コンテンツ)を覆すイノベーション

2000代における据え置きゲーム機が、まさにこの状況でした。ファミコンからスーパーファミコン、プレイステーションまでは家族で楽しめる家庭用ゲーム機という定義でしたが、その後はどんどんハード機のリッチ化が進んで、子供たちが遊ぶゲーム機材というよりはゲームマニアの大人たちが楽しむハード機へと変貌していき、ターゲットとなる顧客層がしぼんでいきます。

ゲーム機を再び家庭用に引き戻したのが、任天堂Wiiです。お母さんに嫌われないゲーム機として、リビングに置かれるハードウェアを目指しました。先鋭化した市場を再び再定義するには、マーケティングではなくて新しい価値を、再定義した市場に提案するイノベーションが必要とされるのです。
そして、ゲーム業界においてそのイノベーションを繰り返してきたのが、任天堂という会社なのだと思います。

しかし、ソーシャルゲームにおいては、今のところ市場を再定義する必要はありません。なぜならば、顧客がセグメントされると同時に顧客単価が高くなっているからです。総量としての儲けの幅が大きければ、単価の低いマスにターゲットを広げることは、かえってマイナスに働きます。

これはアイドルというコンテンツにも言えることで、昔は誰もが知っている国民的アイドルという存在が必ずいましたが、現在では「僕だけが知っているアイドル」に高い単価をかけるという、顧客は少なく、単価は高くのモデルになっています。

良い商品(コンテンツ)を広めるメディアの役割

そして、誰も知らないけれど良い商品(コンテンツ)を広めるのは、メディアの役割でした。テレビメディアはマスですが、昔から雑誌メディアがそれぞれの特色ごとに良い商品(コンテンツ)を発掘して広めてきました。例えば「ブルータス」に掲載される商品は、あの「ブルータス」に選ばれたという一定の評価を受けます。

しかし、良い商品(コンテンツ)を発掘してきた雑誌メディア的な役割をするWEBメディアは「ほぼ日刊イトイ新聞」くらいなのかなと思います。なぜならば、すでにWEBメディアの作り方自体が、人気の商品(コンテンツ)を集めるという、マーケティングに依拠した作られ方をしているからです。

ということで、マーケティングによって商品(コンテンツ)は単一化するし、インターネットはそれをさらに推し進めるという話でした。

嗜好が細分化した時代に、人々を一つに繋げるコンテンツ

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インターネット、スマホの登場により細分化した人々の嗜好

最近ピコ太郎の動画がYOUYUBEで流行っていると聞いて見てみたものの、いまいち何が面白いのか分からない今日この頃です。

さて、スマートフォンの登場以降、人々の嗜好はどんどん細分化しています。かつてのマスであったテレビが、マスではなくなりつつあり「万人が知っている」共通の情報はどんどん少なくなっています。
嗜好の細分化に一役買っているのは、スマホデバイスの普及です。スマホデバイスが普及した結果、様々なソリューションに常時アクセスすることが可能になりました。

facebookやツイッターもSNSという名のソリューションですし、YOUTUBEやニコニコ動画という動画ソリューションも台頭しました。さらにソーシャルゲームというソリューションが生まれた結果、今までゲームをしなかった層にもゲームが普及しました。
以前は情報の入手手段がマスメディアしかなかったのですが、人々が情報を手に入れるソリューションば細分化しているのです。

さらに、個々のソリューションの中も、さらに細分化しています。ツイッターを見てみても、政治、経済などについてつぶやいているアカウントがある一方、中高生が身内でのコミュニケーションの一環としてつぶやいているアカウントもあります。そして、これらはお互いに交わることがありません。
自分たちが興味のある情報やアカウントをフォローし、それぞれの住み分けとクラスタがあるのです。このように、自分の興味がある情報だけを追うようになるのも、インターネットのソリューションの特性と言えます。

この10年で、みんながが知っている【共通知】という括りが減り、好みや嗜好が細分化して、自分たちのクラスタが生息するエリアのみ情報のみを、取り入れるようになったのです。

ピコ太郎やラッスンゴレライ。リズムネタやキャラネタにお笑いが偏る理由

好みや嗜好が細分化するということは、以前であれば「テレビを見ている人がたいてい知っている」という共通の情報がなくなるということです。例えば爆笑問題さんは、漫才で時事ネタを扱っているので、旬のニュースや芸能ネタを取り入れます。ライブでショーンKさんのネタを扱ったと言いますが、このネタを笑うには観客に「ショーンKさんが経歴詐称で話題になった」という知識がある必要があります。昔の日本であれば、テレビのワイドショーで扱ったニュースはだいたいの人たちが知っていましたが、今はテレビが家にない人も珍しくありません。ショーンKさんの経歴詐称の話題を知らない人にとっては、知識がないので笑えないネタなのです。
お笑いというのは、人々の共通知をくすぐるコンテンツなので、今は非常にお笑いというものが作りにくくなっています。

それでは、笑いの最大公約数を取るためのネタを考えると「共通の知識」がなくても笑える「見た目が面白い」「五感で理解出来る」と言った分かりやすい方向に行きます。これが、リズムネタやキャラネタに転化され、幼稚園児が見ても笑えるようなプリミティブなものになっていきます。プリミティブな笑いは表層的な共通知なので、分かりやすい分、飽きられるのも早くなります。リズムネタやキャラネタが流行っては、半年以内には消えていくということがここ数年起こっている現象です。

本当は、深いところで一つになりたがっている

嗜好の細分化が起こった結果、人々は表層的な共通知でしか繋がることが出来なくなりました。しかし、その反動的に一つに繋がりたいという気持ちが非常に強くなっています。以前に比べて、「何が共通項か分からないけれど、人々を一つに繋げることのコンテンツ」の爆発力が高まっているのです。それはスタジオジブリの作品だったり「君の名は。」が予想外のヒットになっていることに現れています。
しかし、この深層的な共通知は、これが共通知であるという因数分解が出来ないため、時代の流れを読むのに長けたクリエイターによる感覚やセンスに依存します。そして、クリエイター自身も爆発的ヒットになるかどうかは、事前に予測が不可能なのです。

ということで、現代における3つのコンテンツの種類とは「細分化した嗜好に合わせたコンテンツ」「プリミティブな感覚に即した表層的なコンテンツ(コンテンツの消費期限は早い)」「深層的な共通知に働きかけるアートなコンテンツ」に分類されます。そして、最後の1つは誰にも爆発的ヒットになるかは予測できないものの、人々がこのコンテンツを深く欲しているため、一度爆発すると並外れたヒットになる確率が高いのです。

宮崎駿や村上春樹に見る、コンテンツの普遍性と「物語」の役割

コンテンツやアートの本質は普遍性にある?

コンテンツやアートの本質とは、見てる人たちに「普遍性」を持たせられるかということだと思うんですね。

一番最初のレベルが、既に共通の知識がある題材を取り扱うことでコンテンツ自身に「普遍性」が備わってる場合。

たとえばお笑いの漫談などで時事ネタを扱うものがあります。政治家の失言や、芸能人のゴシップなど、皆がすでにニュースなどで得ている共通の知識を下地にしているので「普遍性」を持たせやすいのです。
バズメディアでやたら「猫」の写真がシェアされるのも「猫は可愛い」という一種の普遍性であり、題材に手を加える必要がありません。ネットではこのお手軽な「普遍性」を持ったコンテンツが多いように思います。ゴシップもそうですし、ソーシャルゲームも人間に備わった射幸性を刺激するという意味ではプリミティブな普遍性なのかもしれません。

次のレベルは、観る人たちに一定の知識を求めるコンテンツやアートです。観る側が共通知を持っていることによって、コンテンツに自身で普遍性を添えていきます。例えば古典アートがそうですね。印象派とか、キュビズムがどうとか、バックグラウンドの知識を備えておかなければアートを咀嚼出来ません。こういったコンテンツやアートを味わうには体系的な知識が必要なのです。古典アートの他にも、ファッションというコンテンツを咀嚼するにも、体系的な知識を得ていた方が普遍性を持ちやすくなります。スポーツを観戦するときもルールが分かっていた方がより分かりやすいですし、そのチームやプレイヤーの歴史についての知識があったほうがより普遍性を持ったコンテンツになります。阪神タイガースなんかその最たるものですよね。

そして次のレベルは「なんだかよく分からないけど、普遍性を持つ」というものです。冒頭でお笑いの漫談を例に出しましたが、シュールと言われる種類のお笑いがあります。初期のよゐこは、シュールなコントをする芸人でした。美容院のコントでヘアスタイルを「たくあんにして」と客に言われて頭にたくあんを乗せるコントがあります。頭にたくあんを乗せることが面白いという普遍性はないですが、笑ってしまう。これは人間の無意識のところに働きかけて普遍性を持たせていると言えます。
ラーメンズという美大出身のお笑い芸人(と呼んでいいのか)のコントを、故立川談志さんは「誰もが知っている常識を共感の道具として持ってくることは簡単なのだけど、ラーメンズは人間の無意識化のところで共感を作りだしている」と評していました。

普遍性を持たせるのは「物語」という箱

そして、この「なんだかよく分からないけど、普遍性を持つ」ということに有効なのは「物語」の存在です。主人公とともに、「物語」に没入することで、私たちはある種のフィルターを手にすることが出来、その「物語」は普遍性を持ちます。宮崎駿さんの作品は、公開されるたびに興行収入が200億前後を越えていますが、2000年代半ば以降の作品は解釈が難しい作品もあります。「ハウルの動く城」なんかは解釈の仕様がいくらでもありますし、難解な箇所もあるのに500万人も動員しています。観客側に共通知がなにのに普遍性を持たせることが出来る。これが「物語」という箱のなせる技でしょう。

同様に作家の村上春樹さんも「物語」の重要性について、過去にエッセイなどで何度か触れています。村上さんの作品も世界中で翻訳されて多くの読者を獲得していますが、彼の初期の作品は東京を舞台にした男性のごく個人的な視点で描かれる小説です。この作品が世界じゅうで受け入れられるのも、物語としての普遍性を獲得しているが故だと言えます。

また、優れた「物語」は、多重構造になっています。例えば先ほどの宮崎駿監督の最後の長編作となった「風立ちぬ」ですが、これを一番分かりやすい解釈で観ると「戦争を背景にした悲恋物語」ですが、岡田斗司夫さんの解釈ではこれはもっと残酷な話だという評もあります。

さらに「崖の上のポニョ」も、普通に観ると親子で観られるカワイイ生き物(?)が登場するハートフルストーリーとして片付けることも出来ますが、これは神話なのではないかという考察もネット上に流れました。

このように優れた物語とは、多重構造になっているが故に、何回も咀嚼することが出来るし、今観た物語と10年後に観る物語では全く違う内容をとして取ることが出来る可能性があります。
そしてこの「物語」の作り手として世界的に有名なのがトルストイやドフトエフスキーなどのロシア文豪でしょう。特にドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の層の厚さはすごい。”3人の兄弟を主軸にした家族の物語”とも読めますし”宗教文学”とも読めますし”ミステリー小説”としても読めてしまう。最近は日本のベストセラーに並んでいる小説を観ると、100人が読んでも同じ解釈が出せる「筋書き」的な物が多いのかなと感じます。

こういった多重構造を持つ「物語」を咀嚼するというのは、人生の滋養を得るという意味で重要だと思うんですね。自分とは違う主観のフィルターを通して物語を追体験するということは、長期的に観て多様性の獲得に繋がると思うのです。最近はゼロかイチかの解釈が割り切られることが増えているように思うのですが、個人的な主観で描かれた普遍性を持った「物語」を私たちはもっと咀嚼すべきだと思うのです。


キティちゃん、リラックマ。人気キャラクターが無表情な理由

キティちゃん、リラックマ、LINEスタンプのブラウンに共通するもの


かなり前のことですが、LINEのスタンプキャラクターで一番人気なのは、国外問わずクマのブラウンだという話がありました。
そして、不動の人気のキティちゃんは、海外のセレブが愛用して逆に国内でも火がついたという話があります。そして、キティちゃんのサンリオと対をなしてキャラクタービジネスを手掛けるサンエックスの看板キャラクターは、リラックマです。

この3キャラクターには、「無表情」という共通する項目があります。いずれもシンプルな描画で、それほど大きくない瞳と、笑っていない口元。大多数の人から受け入れられるキャラクターの条件は「無表情」と言ってもいいのかもしれません。

無表情であるということは、受け取り手の感情を自由に投射できる偶像となっているということです。悲しい気持ちの時にキティちゃんを見たら、悲しい表情に見えるかもしれないし、楽しい気持ちの時であれば笑っているように見えるかもしれません。
受け取り手の想像によって、解釈が傾く余地がある顔(無表情)というのが、キャラクターとして普遍性を持つ鍵なのですね。

実写恋愛ゲームがヒットしない理由


一方、女性向けの恋愛携帯ゲームのキャラクターにも、ある法則があります。実写の恋愛ゲームは、ヒットしないのでう。恋愛ゲームに出てくるキャラクターは、皆アニメイラスト調なのです。
そして、どの恋愛ゲームでも、だいたい3人から5名くらいいる男性キャラクターの中から一人を選んで進めていく形になっています。

これらのキャラクターには、それぞれ性格づけがあり「大人系(たいていメガネをかけている)」、「年下系(目が大きい)」、「ツンデレ系(持ち上げて落としてくる)」といったカテゴリに分けられています。
これも、先ほどの無表情のキャラクターたちと同じく、受け手の想像の解釈を広く受け止められる構造、つまり実際のモチーフを抽象化している偶像であると言えるかと思います。

これが仮に、実際の大人の男性(渋谷美容院勤務:29歳)を登場させた場合、
「髪の毛の襟足が長いのが気に入らない」
「手にはめてるブレスレットが嫌だ」
などなど、たくさんの不満が出てくるのです。しかし、それを「大人系男子」としてイラストとして抽象化することで、受け手側は実際に描かれていない細部(襟足とか)を自分の都合の良いように解釈するのです。

リアル世界をモチーフにした偶像


要約すると、キャラクターやゲーム、アニメに漫画といったコンテンツ全般は、リアル世界をモチーフに偶像化したものであり、受け手側の想像力を抱えられる、ひとつの器とも言えるわけです。

リアル世界のモチーフ(もしくは概念)を、どのサイズでどのくらいの形に切りとり、どう加工するかが、大多数に指示されるかどうかの試金石になります。
ちなみにサンリオと違ってサンエックスのキャラクターは、世情を反映するような性格づけがされており(リラックマは方の力を抜いて、だらんとした性格)、このあたりもリアル世界をモチーフにした偶像と言えるかもしれません。
(最近ではサンリオも「ぐでたま」など、だらんとしたゆるい性格設定のキャラクターを出していますね。)