「ニンテンドーSwitch」は売れないと思った。ロジックが事実に反するとき。

事業の戦略や戦術練りは、会議室でロジックが練られるものですが、そこで出たロジックが往々にして事実に反することがあります。
前回のブログに引き続き任天堂の例になりますが「ニンテンドーSwitch」が大きく売れている中、何かのインタビューでポケモンの会社の偉い人(うろ覚えですいません)が「絶対売れないと思ってた。」と言っているのが印象的でした。
その方がなぜ売れないと思ったかというと「スマートフォンみたいな超小型端末がゲーム機として機能していて、みなそれを持ち歩いているのに、あんな鞄の大半を占拠するようなゲーム機を持ち歩く人はいない」という理由でした。

これは、ロジックとしてはしごくまともで、もし「ニンテンドーSwitch」の発売前にこの論は正しいかと人に問えば、たいていの人は「そう思う」と答えていたでしょう。
しかし、この方は発売後にSwitchを使ってみて、実際にSwitchを持ち歩くようになったといいます。それは、あまりにもゲームソフト(ゼルダの伝説)が面白すぎたからです。

机上で考えたロジックは「スマートフォンの何倍も大きなモニタごとゲーム端末を持ち歩く人はいない」というものでしたが、事実は「コンテンツが面白ければ、人は何だってやる(モニタも持ち歩く)」だったわけです。

このように事実がロジックに反する例は枚挙にいとまがなく、たいてい会議室で時間をかけすぎて出た案が、事実と異なるため結局使われないというケースをたくさん見てきたため、あまりロジックに時間を費やすのは適切ではないと思います。

ちなみにこの現象は、自分が対象顧客層でない場合は起こりやすくなります。対象となる顧客の気持ちを想像するしかないので、ロジックが占める領域が多いからです。その場合、いかに顧客の気持ちを想像出来て話を聞けるかという点が重要になりますが、ユーザーインタビューもやり方によってはもろはの剣です。なぜならば人は無意識に嘘をつくからです。

「ニンテンドーSwitch」の発売前に、端末の性能や発売されるソフトなどを説明した上で「これを持ち歩くか?」とユーザー調査をしたら、ほとんどが「持ち歩かない」と答えるでしょう。しかし、実際ゲームをプレイしてみて、ハマってしまうとモニターを持ち歩くようになるわけです。ユーザーインタビューで大切なことは、まだここにないプロダクトの説明をする意向調査にはあまり意味がないということです。むしろ、プロトタイプを作って、使ってもらうしか確認する術はありません。

また、事実がロジックに反する事象が頻発するのは、人が忘れやすい生き物だからです。「ニンテンドーSwitch」の例でいえば、ゲームはハードではなくてソフトで決まるというのはゲーム機登場以降延々言われて続けてきたことであり、さきほどの方がゲーム会社の関係者である以上、これまでも寝食を忘れてゲームにハマった経験があるはずですが、ロジックを考える時に、そういった前提の体験を忘れていることが多いのです。

ということで、ヒットするサービスやプロダクトを生み出せる人は、人間の心理行動をプリミティブな形で把握することに長けていると思います。(逆に、ロジックで考えている多くの人は、人間の心理行動に沿わずに「こう使って欲しい」という形でユーザーに提示してしまうケースが多いように思います。)

ちなみに、これがとても上手いのはサイバーエージェントの藤田社長なのではないかと思います。「AbemaTV」のオプションの一つとして、フロー型のコンテンツではなくてストック型のコンテンツにするという案もあったはずですが人間は能動的ではなく受動的な生き物であるという普遍の事実に基づいて、今の番組を流すフロー型のコンテンツにたどりついたといいます。
その他にも、人間の心理導線をかなりとらえていると思われるスキームの例として、マンガアプリ(特にピッコマ)や、秋元康さんがプロデュースするアイドルもかなり人間の心理導線に基づいて設計されていると思っています。

任天堂が、市場に欠けているピースを見つけるのが上手い理由

新規の事業やサービス、プロダクトを作る際に重要なのは、今起こっている現象において「欠けているピース」を見つけることです。例えば、どこかの街で八百屋さんを始めようと思ったとします。その街での野菜の消費量のデータを見たところ、とびぬけて大根の消費量が高かったとしましょう。すると、たいていは大根が売れているようだから、たくさん大根を仕入れよう、という結果になりますが「欠けているピース」を探すのがうまい人は「大根がたくさん売れているのは、単に産地が近くて安いという理由だから、その他の野菜も仕入れルートを開拓して値段を下げれば大根に飽きている人たちに、たくさん売れるはず」と、目の前に見えている現象に欠けていることをさぐろうとします。

任天堂は常にゲーム機においてコレをやってきたと思うのです。ニンテンドーWiiは、プレイステーションなどのゲーム機がどんどん高機能化し、マニアックなゲームユーザー向けになっている現象を見て、お母さんや子供たちも一緒に遊べる家庭用ゲーム機のピースが欠けていることに気づいて投入されたゲーム機です。

その後、スマートフォンの普及を受けてソーシャルゲーム全盛となり、もうコンソール機の需要はなくなるのではないかと言われている中で「本当のゲーム好きが遊べるハードウェアがない」という欠けているピースに対して発表したのが「ニンテンドーSwitch」なのだと思います。

任天堂以外にも、急成長を遂げる会社というのはこの「欠けているピース」を探すことに長けています。「欠けているピース」は人々の直感に反する(家庭用ゲーム機が売れるわけがない、ソーシャルゲーム全盛の時代にハードウェアなど買わない)ため、大企業が資本を投下して入りにくいからです。
例えばLINEもスマートフォン時代になってからメールというソリューションが遅れていることに気づいた会社ですし(正確に言うと先行のカカオトークの方がより先にそれに気づいていたわけですが、その市場が爆発的に成長すると確信して資本を投下し続ける決定が出来たのはLINEですね)、同じくメルカリもスマートフォン時代になってからオークションではなくて簡単にモノのやり取りをしたいと気づいた会社ですね(これもLINEと同じくすでにフリマアプリの競合は数社存在していましたが、市場の爆発的な伸びを最も確信していたのはメルカリでしょう。)

このように、急成長を遂げるためには欠けているピースを見つける力が非常に重要です。ペイパル創業者の一人であるピーターティールが著書の「ZERO TO ONE」にて「競争するな、独占せよ。」「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」と問いかけているのは、まさにこのことだと思います。

このピースを見つけることが上手い条件のひとつとして「物事を構造化してとらえられる体系的な知見」が挙げられますが、加えて最も強いのは自分自身が顧客であるという当事者の場合です。
例えばアメリカで急成長と遂げたチャットサービス「スナップチャット」は、投稿から一定期間で投稿した写真やテキストが消えるというサービスでした。チャットサービスがすでに爆発的に流行っているという現実だけ見ると、もはや参入余地がないように見えますが、それを使っていた当事者の若者にとっては「バカみたいな写真とか、うんこって送ったらずっと履歴が残るのは嫌だなあ」というニーズがあったわけです。

そして、任天堂も同じくこの当事者である顧客の視点を持ち続けていることが非常に強いことなのであろうと思います。それゆえにハードウェアにおいて時折失敗をしつつも、当事者視点がブレないため、その時において欠けているピースに気づき、そこのハマるプロダクトを提供し続けることが出来るのです。

それは創業者である山内溥氏の「任天堂は娯楽の会社で、娯楽以外はしないほうがいい。」という言葉にも現れています。徹底的に娯楽を扱い、娯楽についての当事者意識を持っているからこそ、娯楽を求める顧客にとって大切な価値を気づけるのでしょう。

これは「儲かっている市場に投資して、儲かるのであればどんな事業であってもやる」という昨今の新興企業とは異なるフィソロジーです。企業が長期的に存続し続けるためには、ある市場において企業文化レベルで当事者になることが出来るフィソロジーが重要なのかもしれません。

新しいテクノロジーが、不便をもたらす理由

新しいテクノロジーは、一般的に生活を便利にすると言われています。例えば家電の登場により家事が楽になったであるとか、携帯電話の登場によりいつでもどこでも連絡がつながるようになったとか、常に新しいテクノロジーの登場によって便利さがもたらされてきたとされています。

しかし、実はそれほど便利ではないのです。
便利かどうかの判断というのは、それを使っていて「便利だなぁ」と思う人間の主観が入って完成します。今、毎日のようにスマホを触っていて「スマホがあって便利だなぁ」と思う人はいないでしょう。なぜならばスマホがある生活というの、みんなにとって「普通」になってしまっているからです。

と、このように新しいテクノロジーの登場後しばらくは「便利だなぁ」と思いながらその恩恵を受けることになりますが、やがて時間たってくるとその状況が常態化して「普通のこと」になるので、特に便利だとは思わなくなるのです。

そして、テクノロジーの恩恵が常態化すると、現在が便利であるのではなく、以前が不便であったということになります。私たちは今スマホを手放した生活は考えられません。スイカなどの交通電子決済カードがなくなるのも無理な話です。さらに、冷蔵庫や掃除機などの家電製品がなかった時代の生活に戻ることも絶対できません。テクノロジーの発達による流れは不可逆なのです。

これはお金持ちに少し似ています。年収数百万円代の人は、年収一千万以上の人を「お金持ちで羨ましい」と思いますが、年収一千万の人はその状況が本人にとって普通であるため「年収一千万もあってありがたないなあ」とはそれほど思いません。むしろ年収数百万円代に減ってしまうことを不便だと感じるでしょう。この流れも不可逆なのです。

このように新しいテクノロジーの恩恵を受けている人は、それを「普通」と感じ、過去のことを「不便」と感じて不可逆になります。しかし、古いテクノロジーにとどまっている人たちは、自分たちの状況を「普通」と感じます。
現在あらゆるところで、この層の二極化が起こっているように思います。

例えば電子決済です。少し前に社会学者の方が「コンビニで現金を使う人は頭が悪い」という発言をしたとして話題になりましたが、この社会学者の方にとって電子決済というテクノロジーは「普通のこと」なので、現金を使っている人たちとその状況を「不便」であると感じるのです。
(付け加えると、レジに並んでいる人に現金派の人がいれば、待ち時間が長くなるため電子決済派の人は不便を感じやすい構です。)

仕事の面においても、仕事上のコミュニケーションとしてチャットという新しいテクノロジーが登場しています。IT企業を中心としてチャットワークやslackなどのチャットツールで仕事をしている企業が増えていますが、それでも以前メールを使っている企業がたくさんあります。これも、チャット派の人からすると「メールなんか、たるくてやってられない」と、不便を感じるわけです。

産業革命以降、交通・物流の発達や、家電の発達、スマートフォンという情報電子機器の発達あたりまでは、全員が同じエスカレーターに乗ってテクノロジーを享受していたため、この分断が見られなかったのですが、ここに来てさらに新しいテクノロジーの便益を受ける人と、そうでない人たちとの間に溝が生まれつつあるように思います。

しかし、冒頭にあるように新しいテクノロジーから受ける生活は不可逆になるため、この差がうまることはなく、もっと広がっていくでしょう。この両者の差はお金持ちとそうじゃない層の差にも似ているという話をしましたが、貧富の二極化という傾向に加えてテクノロジーに対して乗るかそるかの二極化というのも広がっていきそうです。

独占する事業を作るには、おじさんに分からないサービスを。

ピーターティールが「ZERO TO ONE」でしきりに競争するな、独占せよ。と言っていました。著書の冒頭に「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」という問いがあるのですが、誰もそんなもの流行ると思っていないけれど、本当はすごくニーズがある(あるいは出てくる)ポイントに着眼する必要があるということです。

頭の良い人たちというのは、定量的なデータを渡されたら等しく頭良く考えて同じ結論に達するため、競争が起こます。なので、独占するサービスを作るには、だいたいの人たちが流行らないと思っているけれど、実はものすごく需要のある市場に注目する必要があるのです。

これを日本でつきつめると「おじさんに理解出来ないサービスを作る」というのが、独占する事業を作るカギになります。日本は先進国の中でもダントツで女性の社会進出が進んでおらず、決裁権を持っている偉いひとたちは”おじさん”ということになります。
そういう”おじさん”たちにとって、市場ニーズがあると思えない領域のサービスであれば参入してこないわけです。

例を挙げると初期のクックパッドなどは、偉いおじさんたちから投資を断られまくっていたそうです。家で毎日料理をしないおじさんたちにとっては、毎日見られるレシピの重要性が理解出来なかったんですね。

あとはピクシブなんかもそうだと思います。後からよくよく考えるとコミックマーケットがあれだけ盛り上がっていたり、自分の描いた絵を見てほしいという欲求はすごく多かったと気づかされるのですが、会社の中で一日じゅう過ごして家に帰る生活を送っているとオタク文化や絵師の文化に触れる機会はないわけで、その潜在的なニーズには気づけないわけです。

ゆえに、会社の偉いおじさんたちから見て異世界の分野だけど、一定量需要があるみたいなところが、勝ち筋なんだなと思います。

このロジックと合わせて、可処分所得がそれほどない前提で考えるというのが、重要になってくる気がしています。企業の中で新規事業を考える人はそこそこお金持ちなので、自分の可処分所得ベースで考えてしまいます。
例えば「メルカリ」についても「モノを売った金額より、モノの写真を撮って交換したり、発想する手間に係る時間コストの方が大きくなる」なんて考えてしまいがちです。
しかしZOZOTOWNのつけ払いがめちゃくちゃ利用されていたり、「CASH」が利用停止になるほど使われていたりということを考えると、目の前のマイクロクレジットへの需要がものすごくあるわけです。

ということで、自分の周りのクラスタとは別にマジョリティが世の中にある、という前提に立つことが大事ですし、毎日ちゃんと”生活したり””遊んだりする”という一連の行動が、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実」という思考に結びつくように思います。

キングコング西野さんが言うところの「人気タレント」と「認知タレント」の違い

キングコング西野さんのブログ「『認知』と『人気』の違い。」がとても興味深いです。

少なくとも『はねるのトびら』だけでも毎週2000万人以上の人が見てくれていたのに、
営業などで地方に行くとキャーキャー言われていたのに、単独ライブの集客となると400~500人がやっと。

ここには、『認知』と『人気』の違いがありました。

昔は認知(テレビに出てる)=人気だった

昔は大きな力を持つメディアが、ほぼテレビしかなかったので、テレビに出ている=人気タレントだったのです。日本国民みんながその人のことを知っている、いわゆるスターというやつですね。つまり、認知を取ればすなわち人気につながる時代でした。

だから、テレビ的にはものすごい才能を持ったスターの発掘が重要な仕事で、美空ひばりさんとか山口百恵さんとか、スターの原石を頑張って探して、テレビで認知をマックスに持っていくことによって人気タレントが作られていたのです。

しかし、今ではテレビ以外のメディアが多様化した上に、Youtubeなどの一大動画プラットフォームも出来たので、テレビに出ている=一定の認知は取れるけど人気タレントにはならない、という図式が出上がりました。

人気タレントの普遍的なモデル=「好きモデル」

現在における「人気タレント」のモデルとして、2種類あると思っています。一つは今も昔も変わらない普遍的なモデルとして、その人のことが好き=好きモデルというのがあります。「当たり前じゃん」と言われそうですが、この場合の”好き”はほぼ恋愛感情に近いということです。その筆頭がアイドルグループになるわけですが、若年層は、今も昔も自分と同世代か少し上のアイドルにハマる時期があったりします。
”好き”という感情は人間の本能に近い感情なので、タレントの音楽も聴きたいし、本人の姿も見たいし、私生活にも興味あるという非常に熱量が高い状態になります。

昔は、テレビのブラウン管によってファンとの距離感が保たれていたのですが、AKBが「会いに行けるアイドル」というコンセプトを打ち出した頃から、両者を隔てる壁が一気になくなったため、人気タレントとファンの距離が近くなりました。
さらに、タレントはインスタグラムやツイッター、動画のライブ配信ツールなどのチャネルを複数使っており、テレビはそれらのチャネルの中でも最も伝播力が大きいもの、という位置づけになっているわけです。

つまり、”好き”という人間の本能的な感情に応えるアイドルグループは今も昔もずっと存在していたのですが、接触チャネルの多様化やファンとの距離が狭まっています。

新しいタイプの人気タレント=「共感モデル」

そして、新しいタイプの人気タレントは共感型のタレントさんです。インスタグラムやツイッターなど、ファンに直接メッセージを届けられるツールが発達したため、自分の主義主張を直接届けられるようになりました。このタレントの行動や思想に共感するファンという関係値が、今後増えてくるのかもしれません。
(ただし、海外ではエージェント制度をとっているため、タレントは比較的自由に政治的発言などが出来るようですが、日本においては事務所側の制約が大きいのでなかなか生まれずらい環境ではあるのでしょう。)

ちなみにAKBについては、そもそもの「好きモデル」とともに、ファンとの距離を近くしたり、メンバーに直接メッセージを発信させることによって「共感型」も組み合わせようとしているように思えます。
AKBのファンの人たちは、押しメンを選んだ理由は、その人の背景の物語込みであることが多く、そのへんの物語を本人たちに発信させるなどしてファンに可視化することで、共感の関係も結ぼうとしているのかなと思います。
自分の言葉で毎日自分のメッセージを発信しているYoutuberなどもその最たるものですね。

この「好きモデル」と「共感モデル」の組み合わせを理解しておかないと、タレントとしてのコンテンツの出し方という点において、うまくいかなくなります。
以前アーティストのオフショットや限定メッセージを見られる有料携帯サイトを運営していたのですが、パンクジャンルに属するバンドのファンの登録者数はとても少ないものでした。それは、パンクについてはアーティストが提供するパンクの音楽やライブという音楽体験にファンが共感しているからであって、アーティストに「好き」の感情を抱いていないからです。逆に「好き」の方が強いビジュアル系バンドはオフショットなどへのニーズが強いため、登録数が多くなります。

ということで、人気タレントについて、テレビ以外のメディアの多様化とともに、共感型のタレントが今後登場していくと思われますが、ひとつ難しいのは「共感型」のみだと、その関係値を数値で測りづらいところです。

例えば、広告代理店がよく出してくるソーシャル上の影響力を図る指標としてエンゲージ率というのがあります。
これは、タレントが発信した情報がどのくらい「いいね」されているかの率を図る指標ですが、「好き」タイプのタレントだとフォロワーが若年層ということもあって明確に高くなりますが、「共感型」のみのタレントさんだと指標が出ずらいのです。

例えば大量の「好き」を獲得してるであろう菅田将暉さんのこのツイートを見ると


12,601のLikeを取っており1,981,299のフォロワーがいるので、エンゲージ率0.6%です。

そして「共感」をすごく獲得しているであろう堀江貴文さんのこのツイートを見ると


723のLikeを取っており2,807,953のフォロワーがいるので、エンゲージ率0.03%と一桁も低いのです。

「好き」という本能的な感情が介入しない「共感」型のタレントさんの場合は、その主張なりを見れば納得するので指標には表れにくいんですね。
このあたり、注視率とか新しい何らかの指標があると良いのかなという気もします。

半径5メートル内にウケるコンテンツの時代に

前に聞いた話で本当かどうか分からないのですが「エンタの神様」というお笑い番組において、スタジオでネタがウケすぎるとカットされると聞いたことがありました。
話を聞いたときに、さもありなんと思ったのですが、テレビとはお茶の間の様々な年代層に均質にコンテンツを届けないといけないわけで、スタジオで爆発的に異常な盛り上がりを見せると、お茶の間との温度差が出て、観ている側がポカンとしてしまうわけです。

逆に、深夜のバラエティ番組なんかは、観ている層がある程度限定されるため、その後伝説的な番組として語り継がれたりして、コンテンツを取り巻く熱量が高くなります。(そして、ゴールデンに移るとその熱量が失われて、一気に初期のファンが去っていく)

このように、テレビ全盛期はお茶の間との温度感を合わせたコンテンツが提供されていたわけですが、今後は半径5メートル以内の近しい人に共感してもらえるようなコンテンツが、主軸になるのだと思います。

例えば、20代後半以降の人に、そこそこ有名なYoutuberの名前を言っても、認知度は高くないです。逆に、20代以下の若年層に圧倒的知名度を誇るYoutuberは大勢います。Youtuberをフォローしている人たちは、憧れというよりも共感の気持ちの方が強いのではないでしょうか。
面白系の動画を多数投稿しているYoutuberのフォロワー的には、クラスメートの面白い〇〇くん(さん)が、面白いことをやっている、みたいな内輪のノリで見ているのではないかなと。

テレビ番組などを製作してきた人たちにとっては、テレビのコンテンツとは、何かすごいコトやモノを提示することだったりするのですが、現在のネットコンテンツに親しんでいる人にとっては「共感」が先に立つため、自分がシンパシーを感じるクリエイターの発信を見ている方が、肌になじんでいる気持ちになるのです。

例えばゲーム実況もそうで、ゲーム自体に興味あるから実況を観るというよりは、実況者の実況という名の「おしゃべり」を「うん、うん」と頷きながら聞いている感覚なのです。
小中高生なら、だいたい経験のある、友達の家に行って誰かがプレイしているゲームにあれこれ注文をつけながら、スナック菓子を頬張っていたあの光景が、今まさにインターネット空間で再現されているのではないでしょうか。
(そういう意味でいうと、やり方はあれでしたが女子大学生を集めて、女子大学生にウケるコンテンツを作成していたMERYは、そういった共感型のメディアを作ろうとしていたのでしょう。)

ちなみにYoutubeの例に戻るとチャンネル登録数数万程度で、ガジェットだったり、写真だったり、何かに特化したコンテンツを発信し続けている人たちがたくさんいます。
このように、知っている人は知っている濃度の濃いコンテンツが、無数に広がっていくのが今後のコンテンツの形なのかなと思います。

世代間の仕事の仕方が違いすぎて、過渡期なのかもしれない件

例えば、ちょっと前に電話をかけることは相手の時間を奪う行為だという論争があったわけですが、その説を唱えているのは比較的若いミレニアルズ世代以下だと思うんですよね。こういう世代間における仕事の仕方が違い過ぎて、現在の過渡期においてひずみが起きているのかなと思います。

ということで、そのひずみをまとめてみました。

連絡手段   新→チャット 旧→電話

冒頭に書いた「電話をかけるのは相手の時間を奪っている」という論説に繋がるのですが、そういう説をとなえる人たちは、だいたいチャットを使って隙間時間を使って返信したりしています。このチャットと電話の間を補完する「メール」というツールも入るのですが、正直チャットに慣れてしまうと「メールなんて、かったるくてやってられない」みたいな感じになります。
チャット派にとっては、もはやチャットで仕事することが空気があるように当たり前なのですが、かたや、メールでの通信がマジョリティである人たちもたくさんいるわけです。

ちなみに、メールからチャットというコミュニケーションツールに変化すると

・メールにおける文面マナーにとらわれなくなる(いちいちお世話になりますなどとつけない)
・口語文体に近くなる(チャットの方がコミュニケーション回数が多くなる)

というような変化が置きます。メールはどことなく書面のフォーマットを引きづっているため、文頭にあいさつ文があったり宛先の名前を書く順番があったりしたわけです。しかし、チャットというソリューションはそういったフォーマットも崩しているわけです。

打ち合わせ 新→出来るだけチャット。話す必要があればスカイプか電話。 旧→とりあえず対面

チャットというコミュニケーションは、やり取りの回数が多くなります。メールでいちいち「これはどうなってる?」「こうなってます」「じゃあこれは?」というやり取りをするのは時間がかかりますが、チャットだとレスポンスが早くなるため、従来打ち合わせで行っていたやり取りがチャットで集約出来てしまうのです。それでも、確認したい項目が複雑になる(A or B Bの場合はさらにC or Dなど2重以上の確認が入る)場合は、話してしまった方が早いので、複数人数だったらスカイプ、1対1だったら電話をするかということになります。

しかし、いまだに「とりあえず打ち合わせ」という姿勢を持っている人たちも決して珍しくありません。とりあえずご挨拶、とりあえずキックオフなど、アジェンダを決めずにメンバーが集まって、その場においてアジェンダ自体を話し合う打ち合わせもこの世にはたくさん存在します。

このへんが新しい世代の人たちにとって自分の時間を奪われるというのは、我慢ならないところなので、とりあえず集まる系の打ち合わせは勘弁してくださいというケースが多いのです。

ファイルの共有 新→Googleドライブ 旧→メールにてファイルを送付

新しい世代の人たちはGoogleドライブに必要なファイルを集約し、みなで閲覧・共有をした上で修正の必要があればクラウド上で編集してしまいます。しかし、だいたいの大きな企業において情報漏洩等のコンプライアンスの問題が入るため、パスワード付きZIPのメールにてファイルを送付する方法しか認められてないところが多数あります。
ファイルをクラウド上で共有・編集が出来ないと、明らかに作業効率が悪くなるため、会社によってはどうしても必要な特定部署のみ条件付きで認められている場合もあるようです。

資料 新→手書きやGoogleスプレッドシートなどに記述 旧→きれいなパワポ

長年にわたって、ホワイトカラーの労働力の多くが、きれいなパワーポイントを作るために注がれて来たように思います。しかし、振り返って考えると資料はあくまでも情報を周知・共有させるためのツールなので、目的が達成されるならば別に手書きのポンチ絵でもスプレッドシートにテキストを箇条書きにした内容でも良いわけです。社外用の何百人が目にする営業資料であれば、かなり手をかける必要がありますが、部門内の共有レベルでもものすごくレベルの高いパワーポイントを作ることに労力を注いでいることも珍しくありません。

ということで、新旧における仕事の仕方の違いを4つあげてみましたが、キーワードは生産性です。新しい世代のやり方の方が効率が良いため圧倒的に生産性が高まるのですが、慣習やコンプライアンスが絡む問題において効率の悪いやり方が引き継がれているように思います。今は過渡期であるように思うので、いずれチャットやクラウドによるファイル共有はマジョリティになり、生産性があがっていくのではないでしょうか。

あの人は、なぜ仕事が出来ないのか【決定版】

世の中には、この類の記事がたくさんあり、たくさんあるからには、みんなが「あの人仕事出来ないよね」と思っている人たちがけっこういるのだと思います。試しに、ググってみると「知ったかぶりをする」とか「スケジュール管理が出来ない」とか色々出てくるのですが、現象にフォーカスしているものが多いようです。

蚊に刺されてから、蚊に刺されると赤くなる!と言っているのと同じことで、なぜ蚊が腕を刺すのかにフォーカスしないといけないのですよね。(と、分かりやすく例えようとして、逆に分かりづらくなっている)

というこで、以前も仕事が出来ない人の特徴的な記事を書いたのですが、ものすごくシンプルに仕事が出来ない人に関する決定的な背景を2点ご紹介しようと思います。

その1:やり方を学ばないから、仕事が出来ない

世の中には、やり方を学ばない人がたくさんいるのです。(私もそうでした。)例えば、スパゲティカルボナーラを作ろうと思って、作り方を知らない人が、急に自分なりのやり方でカルボナーラを作ったら高確率で失敗しますよね。

逆に、カルボナーラのレシピに沿って作れば高確率で成功します。ゆえに、仕事が出来ない人たちは、そもそも仕事のやり方を学ばずに自己流でやっていることが多いのです。
料理あればレシピ、仕事であればその仕事を遂行するに足りうるやり方の情報を手に入れ、それを遂行すべきです。

ちなみに大企業が新規事業を始めようとするとき、かなりの確率でこのパターンにハマる(顧客に関するインサイトや情報収集をせずに、自分たちが作りたいモノを自分たちなりに作る)が多いような気がします。
こういったケースで、先行している他社のロールモデルがあれば、まずはそれを研究してコピーするべきというと「オリジナリティが出ない」などと言われたりしますが、そもそも基本レシピを知らない人がいきなりオリジナル料理を作るとたいてい失敗するわけです。
守破離という言葉ありますが、まずは既存のやり方やルールを守って、ベースを作るべきです。
USJにおいてマーケティングの最高責任者として立て直しをされた森岡毅さんの著書USJを劇的に変えた、たった1つの考え方 成功を引き寄せるマーケティング入門にもありますが、マーケティングにおいて大切なのはすでにある事業構造や世の中の流れに逆らわずに、戦略を立てるということが大切なのです。

追い風が吹いている状態で施策を行えば、効果は何倍にもなりますが、既存の事業構造や世の中の流れの構造に逆らおうとすると労力が大変にかかるのです。

新規事業ほどの規模が大きなことでなくとも、封筒50通に切って貼っておいてと頼まれたとして、切手を早く貼るためのレシピが存在するはずなのです。

このその1につまづく人は、たくさんいます。私もかなりそうです。何回も自己流でやって、何かうまくいかない。そこで、ある日、これは何かやり方が間違っているのではないかと気づくわけです。そして、まずやり方を学ぼうという意識改革が起こります。しかし、その意識が起こらない人はその2に進むのです。

その2:失敗したことが分かっているのに、やはり学ぼうとしない

この2まで到達した人は、やり方というよりは、おそらく仕事自体をやりたくないか、思考停止に陥っています。例えば切手を50枚貼る作業がいつまでも終わらなかった場合「いつまで経っても終わらないのはおかしいな」と気づき、周囲の人に「これを早く終わらせる方法はありますか?」と聞けば良いのです。しかし、聞かずに延々長い時間をかけて切手を貼り続ける、この失敗しているのが分かっていても学ぼうとしない姿勢が、究極的に仕事が出来ない人の特徴です。

おそらくこれは、日本の雇用形態にも起因しており、いついつまでにこれこれを終わらせるという裁量性ではなく、1日の拘束時間が決まっている形であることも、こういった人たちを生み出しやすい背景になっているように思います。

また、切手貼りなどの単純作業ではなく、先ほどの新規事業の事例においても同じことが言えます。例えばあなたが新規サイト立ち上げのプロジェクトマネージャーを、初めてまかされたとします。しかし「その1:やり方を学ばないから、仕事が出来ない」の法則に則り、プロジェクトマネージングの手法を知らないまま進めてしまったため、上手くいかずに事故が起こりました。
ここで「このやり方では上手くいかない」と気づけた人は、本屋に直行して「プロジェクトマネージングの進め方」的な本を購入します。本屋に行けば、いくらでもビジネスにおけるロールモデルやレシピが書かれた書籍があるのです。

そして、その本を熟読して(一回痛い目にあってるので、内容がめちゃくちゃ頭に入ってくるんですね)、本のレシピに沿って再度プロジェクトマネージングに臨もうとするわけです。

しかし、究極的に仕事が出来ない人たちは、絶対に勉強しようとしないので、まず関連書籍を読んで情報を得ようする気持ちがありません。

まとめ

ということで「その1:やり方を学ばないから、仕事が出来ない」人たちは、やり方を知らないだけなので、一度失敗を経験すれば何割かはやり方を書籍や人に聞くことによって学ぼうという気持ちになります。しかし「その2:失敗したことが分かっているのに、やはり学ぼうとしない」人は、仕事へのやる気がないか思考停止している状態なので、ほぼ軌道修正は難しいのではないかと思います。
(ちなみに一度失敗をしないと能動的に情報を取りに行こうというマインドが生まれづらいので、一度失敗する過程は経ておいた方が良いのかなと思っています。)

ミュシャ展なみの動員が見込めるかもしれない展覧会

動員数が60万人に達したという「ミュシャ展」ですが、最近こういった企画展において動員が爆発的になるパターンが増えているような気がします。やはりスマホなどで簡単に情報が取れるようになった反面、リアルですごいモノを観たいという欲求が反動として増えているのでしょうか。

そして、さきほどふとミュシャ展なみの動員が見込めるかもしれない展覧会を思いつきました。

くさい展です。

一応マーケティングブログを名乗っているこのブログにおいて、このブログを書くべきか3秒くらい悩みましたが、筋が良いアイデアだと思ったので、書くことにしました。

ツイッターやフェイスブックなどを見ていて、案外多いツイートや投稿が「電車で、となりにいる人がくさい」という投稿です。スマホ登場以前であれば、電車でくさいなあと思う人がいても、心の中にとどめてそれを家族や友達に話す程度だったと思いますが、スマホ登場以降は「くさい」と思った瞬間に、それをそのまま投稿出来る状態になっているわけです。

そして、この類の投稿が多いのは、嗅覚というのが人間の本能的に衝撃が大きい感覚であるゆえな気がしています。本能的なショックが大きいので、そのショックが大きいほどそれをアウトプット(ツイッターに書き込む)をしたくなるのではないでしょうか。

しかも「くさい」という感覚は大勢をひとつにくくることが出来ます。例えば、視覚に関していうとどのようなモノを美しいと思うか、美しくないと思うかは人によってそれぞれです。若い女性であれば凝られたパッケージのコスメを見てカワイイと思いますが、中年男性はそうは思わないわけです。
そして、よいにおいというのも人それぞれです。世の中には多種多様な香水がありますが、人によってどれを良いにおいと思うかは個人の主観に寄るところが大きいわけです。

しかし「くさい」という感覚はほぼ万人に共通しています。シュールストレミング(世界で一番くさいと言われるスウェーデンの塩漬けのニシンの缶詰)をかげば、ほぼ全員がくさいと思うでしょう。

しかも、においというものは、視覚で再現が出来ません。そこに行って実際にかぐまでは、においの実態は分からないわけです。ゆえに「くさい展」を訪れた観客はSNSで「何をどう表現して良いか分からないけど、くさかった」という投稿を行うことになり、それを見た人は「いったいどんなにおいなんだろう」と、気になるわけです。

というわけで「くさい展」は非常に動員を見込める展覧会になると思うのですが、どうでしょうか。展覧会の内訳は世界にのくさいモノ色々(さきほどのシュールストレミングとか)を集めつつ、動物特有のにおいなどにフォーカスを当て(猫の肉球やインコの頭のにおい、そしてその他動物に見られる特有のにおい)、なぜこのようなにおいが生成されるのかという科学的な解説パネルがあると面白いでしょう。お子さん型も楽しめるように、どこぞの研究員によるにおいの実験ブースなどもあっても良いかもしれません。

そして、ブログを書き終わってこのブログを投稿するべきか、2秒くらい迷いましたが、せっかく書いたので投稿することにします。


時間と手間を短縮するために、商品はどんどん合体してきた件

「昭和の洋食 平成のカフェ飯: 家庭料理の80年 (ちくま文庫)」という本に書いてあったのですが、平成に入って合わせ調味料のシェアが伸びているそうです。昔は、いちいち出汁を取った後に味付けをしていた料理が、合わせ調味料1つあれば味が決まってしまうのですね。

これはひとえに、料理をする時間や手間を短縮した商品と言えます。合わせ調味料のように、昔は個別に売られていた商品が合体したヒット商品は、世の中に増えているように思います。
先ほどの調味料を含む食品の例でいうと、様々な野菜をカットした状態でパック詰めしたサラダミックスや、同じくフルーツミックスなどがあります。

調味料以外では、化粧品などにも合体してヒットをした商品があります。BBクリームです。BBクリームは、これ一本で化粧下地とファンデーションがカバー出来るという合体商品です。
これも合わせ調味料と同じく、時間と手間を短縮しているゆえにヒットしたと言えるでしょう。メーカー単体の話になりますが、ドクターシーラボのオールインワンゲルというのもありますね。

他にも、合体したことによりヒットした商品はないかなと考えてみましたが、そういえばリンスインシャンプーという、シャンプーとコンディショナーがセットになった商品がありました。しかし、今はリンスインシャンプーの姿は地方の温泉施設くらいでしか目にしません。これはおそらく、頭を洗い流すシャンプーと、うるおいを与えるコンディショナーの役割が相反するせいである気がします。
アパレルにも合体している商品があります。最近はトップスとボトムスを合わせたセットアップが人気ですが、セットアップもまた上下でセットで着てしまうことにより、コーディネイトを考えるという時間と手間を短縮しているように思えます。

ここまで書いていて気づきましたが、合体する商品は主に女性向け商材に多いようです。昭和から平成にかけては、女性の社会進出が進んでいる(割には、ワンオペ育児問題など家事育児のウエイトは圧倒的に女性が多い)ため、色々なものを合体させて時間と手間を短縮するニーズがあったのでしょう。

今後について考えると、アパレルについては全身コーディネイトをまるっと購入出来るなどのECのニーズがありそうです。ちなみに、食料品について言うと時間と手間を短縮する最大の方法は、お店で調理済のものを購入することですが、この中食市場は年々増加傾向にあります。2015年の中食市場は前年比4%増の9兆5881億円だったといいます。

ちなみに、時間と手間を短縮するために合体した商材というのは、情報産業にも深い関わりがありますね。キュレーションサイトはその最たるものではないでしょうか。さらに、AIというのも、個別に行っていた作業をAIに集約できる情報産業における究極の合体商品と言えるかもしれません。

出典:http://www.nikkei.com/article/DGKKZO14083170U7A310C1TI1000/