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一度消滅したホラー漫画市場が、マンガアプリによって復活した理由

一度は消滅したホラー漫画市場

ホラーマンガという市場は、一度消滅してると思うんですよ。今から20年以上昔のことですが、当時は本屋さんの漫画雑誌コーナーに「サスペリア」とか「ホラーM」とかホラーマンガ誌が平積みされていました。そして、コンビニエンスストアの棚にも御茶漬海苔先生など、ホラーマンガ家の漫画が並んでいました。しかし、2000年代に入ると漫画雑誌コーナーで平積みされることもなくなり、もっと奥のアングラな方へ追いやられ、どんどん休刊していきます。
(ちなみに、かつてホラー漫画誌サスペリアを読んでいたという友達と話をしようとしたら「第三者がいるときは絶対その話を口にするな。」と言われました。ホラーマンガ誌を定期的に読んでいたというのは、あまり公表されたくない事実であるというのも、追いやられた原因のひとつかもしれません。)

ちなみに、ホラーマンガの市場の終わりを見る中で、ひとつの発見があります。「市場は消滅しても天才は存続する」ということです。伊藤潤二先生というホラーマンガ家の方がいるのですが、富江シリーズなど美しい少女の描写で知られています。伊藤潤二先生は多くの専業ホラー漫画家が仕事を続けられなくなる中で、ほぼ唯一と言っていいかと思いますが、ホラー漫画一本で来ています。富江シリーズなどは映像化もされており、あの「HUNTER×HUNTER」の冨樫義博先生も、描写に影響を受けているとネットで話題になっています。(描写に影響を受けているを超えて、けっこうまんま使ってないか?って思っています。)

当時「サスペリア」というホラー誌にて、犬木加奈子先生他のホラー作家たちの対談で「伊藤潤二はヤバい」と、才能を全員が賞賛するくだりがありました。
たとえ、市場が消滅したとしても、圧倒的な天才というのは生き残るのです。(たとえバトル物の少年漫画というジャンルが消滅したとしても、冨樫義博という才能が消えないのと同義です。)

ケータイ文化により、盛り返すホラー漫画

漫画雑誌からは消滅してしまったホラー漫画が生き返るきっかけが、ケータイ文化のはじまりです。フィーチャーフォン(ガラケー)時代になり、「魔法のiらんど」や「E★エブリスタ」など、若年層がケータイで作文して小説を投稿するという文化が生まれます。ケータイで短い文章を作って投稿するということは、冒頭を読んだだけですぐに設定が分かるソリッドなシチュエーションや刺激の強い設定が必要になります。このあたりから「王様ゲーム」などに代表されるグロいコンテンツ(=ホラー)が息を吹き返しはじめるのです。
一度人気作品になると、漫画化や映像化などメディアミックスされることになり、「王様ゲーム」の漫画版ははシリーズ全体の発行部数が800万部を超えています。このように続々とグロい系ホラーコンテンツが漫画化されることで、若年層にホラーコンテンツが浸透していきました。

ちなみに、ケータイ小説の代表的なジャンルのひとつが、先ほどの「王様ゲーム」などに代表されるデスゲームです。最後のひとりになるまで殺し合うとか、生き残る系の設定はまさに2000年前後に大ヒットした「バトルロワイアル」そのものであり、ケータイにてホラー系小説を投稿していたユーザーは、バトルロワイアル及びそこに追従したリアル鬼ごっこなどの影響を色濃く受けています。

漫画アプリ全盛により、商売が成り立つようになったホラー漫画

その後、スマホの普及に伴う漫画アプリの流行により、ホラー漫画の収益性が高まる状況になっています。漫画アプリの最も効率の良い収益モデルは「ピッコマ」などに代表される、1日1回は無料で読めるモデルです。1日1話づつであれば課金をせずに読み進めることが出来ますが、続きが気になる人はチケットを購入して読み進めます。

このモデルで最も相性が良いのが、ホラーコンテンツなのです。例えば、殺人鬼に追われていたとして、主人公が転んだところで終わったら、続きが気になるので24時間待たないで課金しますよね?
および、これら漫画アプリの集客導線はWEBやアプリ内広告なので、グロいビジュアルを出せばクリックレートが高まるので集客しやすく、ホラーだと課金との相性が良いために今の時代に適したコンテンツとなったのです。
(おまけに、冒頭のホラー漫画雑誌を読んでいた中年の人たちはホラー漫画誌を買いづらかったので、アプリであれば読みやすいということと、そもそも若年層はグロに抵抗がないため親和性が高いという背景があります。)

その昔は電子コミックはエロが9割なんて言われていましたが、漫画アプリはグロが7割みたいな世界観になっているのではないでしょうか。(具体的データはないですが。)

スクエアエニックスの電子漫画アプリ「マンガUP」を見ると、多くのグロ系ホラー作品を目にすることが出来ます。(その昔、月刊少年ガンガンで南国少年パプワくんや魔法陣グルグルなど、ほのぼの系作品を観ていた身としては、複雑な気持ちです。)

これからのホラー漫画予想

といことで、漫画アプリによって息を吹き返したホラー漫画ですが、今後はホラー漫画の供給が追い付かない現象が起こるのではないかと思っています。漫画アプリが乱立していますが、掲載されている漫画にそんなに差異がなく、すでにコンテンツ側の供給が追い付いていない印象を受けます。

今後起こることとしては、漫画アプリにはグロ系のホラーコンテンツが不可欠であるため、ホラーコンテンツの原作者が重宝され、原作と作画を分けて作品の投入スピードが加速するのではないかと思います。

もう一点は、過去ホラー作品のキュレーションであり、サスペリアあたりで連載されていた作品を掘り起こして漫画アプリに掲載していく流れも起こると思います。(というか、もう起こっているのでしょうが。)

ということで、一度は市場がほぼ消滅したものの、マンガアプリの普及によってジャンルとしては息を吹き返したホラー漫画についてでした。
最後に、御茶漬海苔先生は「御茶漬 海苔」ではなく「御茶 漬海苔」です。

インフルエンサーには、共感型と恋愛型の2種類がある


巷では個人の時代だとかインフルエンサーの時代と言われますが、インフルエンサーには2種類あると思っています。ひとつめは「その人の行動・言動が好き」なパターンで、共感型のインフルエンサーと言えます。もうひとつは「その人が好き」というパターンで、インフルエンサーが異性の場合は恋愛型であり、同性の場合は憑依型のインフルエンサーになります。

そして、それぞれのタイプは生息するソーシャルにが分かれています。

「その人の行動・言動が好き」な共感型インフルエンサーは、Twitterに生息する

その人の言動や行動について興味関心、共感を頂けるということは、人よりもむしろ主軸がインフルエンサーが発するコンテンツにあります。例を挙げると面白いツイートや恋愛ネタ、ITやマーケティング系などのオピニオン系についてのコンテンツがこのカテゴリに入ります。そして、このエリアに属するインフルエンサーは主にTwitterに生息しています。

Twitterはつぶやきというコンテンツそのものが評価されれば、コンテンツ主体で拡散されやすい構造を持っているため、共感型のインフルエンサーが生まれやすいのです。日本人はTwitter好きと言いますが、それは言葉遊びや文脈を好む構造から来ていると思っていまして、そのあたりもオピニオン系のインフルエンサーと親和性が高い理由だと思います。

この共感型インフルエンサーは、ブログとの相性が良いので、長文はブログで書いて細かいコンテンツはTwitterでつぶやくというスタイルになります。

「その人が好き」な恋愛・憑依型インフルエンサーは、インスタグラムに生息する

恋愛・憑依型インフルエンサーを支持するファンは、コンテンツというよりは、その人自身に好意があります。つまり、異性が対象であればそれは非常に恋愛感情に近しく、アイドルに近い存在です。恋愛型のインフルエンサーはSHOWROOMなど、その人自体=コンテンツとなるプラットフォームで活躍しています。

また、同性が対象の場合は憑依型インフルエンサーになります。これは、ファンがインフルエンサーに対して同質なものを感じたり尊敬の気持ちを抱いており、インフルエンサー自身を自分に憑依させようとするからです。例えばその昔アムラーやシノラーといった芸能人の真似をするファッションが流行りましたが、まさにその人たちは憑依型のインフルエンサーであったと言えます。
また、廃刊が相次いでいるギャル系ファッション誌は、昔からこの憑依型のインフルエンサーを生み出すプラットフォームでした。益若つばさなど、ギャル系ファッション誌の読者看板モデルのファッションやメイク、生活スタイルまでを真似していたのです。現状はみちょぱなどの若年層に指示を受けるインフルエンサーが、インスタグラムをメインプラットフォームに選んでいるため、彼女たちのファンはインスタグラムを熱心に参照することになります。

共感型と恋愛・憑依型を兼ねるインフルエンサーはYOUTUBEに生息する

この2つの傾向を兼ねるインフルエンサーはユーチューバーです。ヒカキンのフォロワーは、ヒカキン自体を好きですが、同時に彼が生み出すコンテンツも好きです。YOUTUBERは、コンテンツとインフルエンサーが一体化したプラットフォームといえます。順番としては先にコンテンツがあり(ヒカキンであればボイスパーカッションやその後始めたゲーム実況)そのコンテンツに日常的に接触していくうちに、本人の熱烈なファンになるというルートをたどります。
少し前にYOUTUBERと水曜どうでしょうは似ているという記事を書いたのですが、この番組も、番組事態を楽しんでいるうちに番組を構成する登場人物に没入するコンテンツとなっています。キモは、完成されたコンテンツではなく、不確定要素や未完成ののりしろがあるため、見ている側が当事者としてのめりこめる作りになっている結果、出演者への共感が高まっていく作りになっていることです。

ということで、インフルエンサーにはいくつかの種類があるということですが、上記いずれの型にはまるインフルエンサーは、いずれもマスメディア全盛だった時代はマスメディアのみに存在していました。共感型のインフルエンサーはコラムニストや作家であったでしょうし、恋愛・憑依型インフルエンサーはアイドルやタレントで、共感型と恋愛・憑依型を兼ねるインフルエンサーはお笑い芸人などが近いのではないでしょうか。

しかし、ソーシャルのプラットフォームが解放された結果、それらのマスメディアを通さずとも各種のプラットフォームごとにファンを獲得するインフルエンサーが登場し、マスメディアに逆輸入されるという形が起こっていくのでしょう。

日本のメーカーが商品を多機能化するのは、内向的なせい

日本のメーカーの商品が多機能になる理由

日本のメーカーが内向的だとタイトルで言い切っているわけですが、内向的なんですよ。内向的というのは、内気とかおとなしいという意味ではなく、外交的が自分よりも外に対して興味あると定義した場合に、外よりも自分に興味あることを指します。

この場合の外というのは、すなわち顧客のことなので、日本のメーカーは

外(顧客)のことよりも自社のことに興味がある

ということになります。

日本のメーカーが出す商品は、多機能であることは間違いありません。炊飯器にしろ洗濯機にしろレンジにしろボタンがたくさんついていて、やれることがたくさんある結果、結局何をやったら良いのかよく分からなかったりします。

なぜ多機能になるかと言えば、外(顧客)を見ないで自社のことばっかり見てるからです。例えばチョコレートを開発するとしましょう。商品開発会議において、

「最近低糖質流行ってますよねー。ニーズありそうです。」

ということで、低糖質という機能を入れ

「リッチな大人向けのカカオも流行ってますね」

ということで、リッチな大人向けのカカオも入れ

「乳酸菌入りチョコも結構売れてるみたいですよ」

ということで乳酸菌も足し

「購買頻度を上げたいと考えると、お子さんのおやつ向けにオリゴ糖も入れてはどうでしょうか」

ということでオリゴ糖も配合します。

その結果、このチョコレートには低糖質でリッチカカオで乳酸菌入りでオリゴ糖も配合されているという特徴があることになり、商品開発メンバーは「こんなにたくさん良い特徴があれば売れるぞ」ってなるんです。

では、実際に顧客が何を思って商品を買うかと言うと、コンビニとかで棚に並んでるチョコレートを一瞥して瞬時に自分が食べたいと思うチョコを選ぶわけなのです。
この時何が起こるかというと、この商品は特徴があり過ぎるので、その特徴を理解する前に、分かりやすい特徴を絞ってあげている他社の商品を選ぶ確率が高くなります。
これをメーカーの商品に例えると、機能があり過ぎてよく分からない掃除機より「吸引力が変わらない、ただひとつの掃除機であるダイソン」という分かりやすいメッセージを持っている商品を選びやすいということです。

低糖質のチョコがほしいと思っている人は「低糖質」だけをうたっているチョコを買いやすいですし、美味しいチョコを食べたいと思っている人は「リッチカカオ」をうたっているチョコを買いやすいのです。

しかし、自社のプロダクトしか見ていない内向的な組織は、顧客が選ぶ時に情報が多すぎると受け止められないという顧客目線が抜けており、自社のプロダクトをもっと良いものにしようと思うあまり、機能を重ねてしまうのです。

もう一つの内向的な理由ー業界や自社の利害関係による

この例は、顧客ではなく自社のプロダクトのみを見て機能を積んでしまう例ですが、もう一つ内向的になるケースとして、業界や自社の利害関係の方を見過ぎて顧客を見ていないというのがあります。

例えばDVDの普及に伴い、コピーガードをつけるとかつけないとかで揉めました。ハードウェアが普及してコピーガードを付けないと、不正コピーが出回ってソフトウェア産業を毀損するのではないかと各企業が恐れた故です。
特にハードウェアとコンテンツの会社を両方所有するSONYなどは、両社のバランスを取る必要があるため、コピーガード推進派であったと記憶しています。
(おなじく、iTunesが出て来た時もSONYの対応が後手に回ったのは、自社が音楽プレイヤーのハードを所有する傍ら、音楽レーベルも所有していたジレンマです。)

日本は昔から暗黙知とかすり合わせが得意だと言われていますが、この空気を読みすぎるという性質が、業界や利害関係を読みすぎて対応が後手にまわる性質に結びついているのかもしれません。
コピーガードが云々をやっている間に、一足飛びにネットフリックスやSpotifyなどのストリーミング視聴が主流になりかけていますが、そのプレイヤーたちはいずれも日本出自ではありません。(Huluは日本テレビが買収しましたが)

ちなみに、業界や自社の利害を全く読まないことで有名なのがスティーブ・ジョブズです。iPodが大ヒットし、まだまだ売上をあげていた時にiPodの機能を包括したiPhone開発に着手しているのです。
このタコが自分で足を食うことをするというのは、オーナー企業でない限り実施不可能と思われます。

ということで、まとめると内向的な会社の特徴というのは、外(顧客)を見ないで自分のプロダクトばっかり見るので、多機能化しがちになり、顧客にメッセージが届かない。あるいは、業界や自社の利害関係にとらわれすぎて、折衷案のプロダクトを検討している間に空気を読まない海外勢がやってくる、という構造が多いのではないかと思います。

水曜どうでしょうがユーチューバーのはしりである件

好きな人はとことん好きな、水曜どうでしょう


水曜どうでしょうと言えば、大泉洋を輩出した北海道初のバラエティ番組として有名です。水曜どうでしょう祭りを北海道でやると宿が埋まって取れなくなるとか、DVDの売上がすごいとか数々の伝説を残しています。

水曜どうでしょうを見ていると、今流行りのユーチューバーの原始のように見えます。水曜どうでしょうを好きな人はとことん好きだけど、興味のない人は本当に興味がありません。好きでも嫌いでもないという中間層が薄いのです。同じく、ユーチューバーが作るコンテンツも、熱狂的な人は頻繁に見るけれど、興味がない人は存在自体しらないという2極化したコンテンツです。
例えば水溜りボンドと言われても、このブログを見ている人はほとんど知らないと思いますが、若年層には圧倒的な知名度を誇るユーチューバーです。
水曜どうでしょうもユーチューバーが手掛けるコンテンツも、興味のあるなしが圧倒的に二極化しているのです。

主軸となるのはコンテンツか人か


この両者の根本的な共通点が「人が主軸になっているコンテンツ」であるということです。水曜どうでしょうファンの会話を聞いたことはないでしょうか?水曜どうでしょうファンの会話はだいたいが「ようちゃん(大泉洋)が〇〇した」とか「ミスター(大泉洋の事務所の元社長)が〇〇した」とか「ふじやん(プロデューサー)が〇〇した」など、番組出演者が主語になっており、それに付属して〇〇したという動詞をつなげて話します。主軸になっているのは、人なのです。
同様にユーチューバーも人が主軸であるコンテンツです。(個人が動画を配信しているのですから、その成り立ちからいって、自然にそうなりますね。)
ヒカキンが虫捕りに行った。ヒカキンがゲームをプレイした。など、ユーチューバー自身が主軸であり、何をするかというコンテンツそのものはあくまで副次要素なんですね。

これを地上波の番組に当てはまると、アイドル番組も同じ構造になります。乃木坂46が出演するバラエティ番組「乃木坂工事中」において主軸となるのはアイドル本人たちであり、乃木坂46に何をさせるかというコンテンツはあくまで副次要素なのです。
逆に、多くの地上波の番組は、何をするかというコンテンツが主軸であり、人が副次要素になります。クイズ番組において、クイズというコンテンツの箱が先にあり、そこに回答者(誰)をはめるかという順番です。

人が主軸の場合のコンテンツの特徴


人が主軸の場合、コンテンツの寿命は長くなります。なぜならば、人が主軸のコンテンツが終わる時は、その人自身の人気が落ちた時だからです。逆に、コンテンツが主軸の場合は、その入れ物の賞味期限が来たらコンテンツは終わります。その昔マジカル頭脳パワーという番組があり、マジカルバナナなどライトなクイズで人気を博しましたが、ライトなクイズというコンテンツのブームが終わるとともに番組が終了しました。
逆に20年以上も続いていた「SMAP×SMAP」は、SMAPが解散さえしなければ、これ以降も続いていたでしょう。以前妖怪ウォッチの誕生秘話のインタビューを読んだ時、ストーリーがあるといつか物語は終わる。しかし、サザエさんのような日常のバタバタは永続性があり、それを目指してる的な記述がありました。
サザエさんもまた、磯野家という人が主軸であるコンテンツです。「水曜どうでしょう」も1996年から今にいたるまで継続して人気を博しており、人が主軸の場合はコンテンツの寿命が長くなるのです。

アイドル番組になくて、水曜どうでしょう(またはYOUTUBE)にあるもの


地上波でいえばアイドル番組は構造として水曜どうでしょうやYOUTUBEに似ているのですが、前者にはなくて後者にはあるものがあります。それは偶発性によるハプニングというのりしろです。

水曜どうでしょうには段取りはありますが、台本がありません。日本各地をめぐってクイズに答えるという企画でも、実際にクイズに正解するかどうかを台本に織り込んでいないので、先が読めません。1日の日程も決めていないので、目標より大幅に進捗が遅れることもあります。ゆえに、偶発性が多いのでハプニングが起こりやすく、いったんハプニングが起こるとハプニングそれ自体が強力なコンテンツになりやすいのです。そういったシチュエーションは印象に残りやすいので、口コミしたくなります。

ゆえに、水曜どうでしょうファンはハプニングによって生じた名場面を語り合うのです。例えば、西表島編では虫を追う虫追い祭りという企画だったはずが、たまたま参加したガイドのロビンソンさんが面白かったことと、彼に虫追い祭りを否定されたことから、急にうなぎを採りに行ったり、エビを釣ったりと当初と全く違う企画に変更しています。(後にロビンソンフィギュアも発売されたそうな。)

マレーシアのジャングルで動物を観測するための小屋に宿泊していた時は、トラの眼が光った!と大騒ぎになり(実際はシカだった)、その時ミスターが作ったバリケードがふにゃふにゃのマットレスで、バリケードとしての役割を果たしてなかったことも「ふにゃふにゃマットレス事件」としてファンの間で語り継がれています。

同じように、YOUTUBEにも偶発性というのりしろが存在するコンテンツです。偶発性によるハプニングというのりしろは、口コミを生みやすいので、ファン同士の結束をさらに固くさせるとともに、新たなファンを獲得するツールになります。

今の地上波において、一番欠けているのがこの偶発性によるハプニングだと思いますが、2番組だけ上記の条件を同じく兼ね備えた番組を発見しました。

「もやもやさまぁーず2」と「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」です。前者はさまぁーずという人が主軸であり、台本がほぼないので偶発性による小さなハプニングだらけです。後者は蛭子能収のクズっぷりをなんとかしようとする太川陽介が主軸であり、同じく台本がないので毎回クリア出来るかドキドキハラハラです。(現在は終了。)
ちなみに「水曜どうでしょう」も含めた3番組に共通点するポイントは、人気番組であるとともにDVDが割と人気ということです。つまり、ファンの熱狂度が高いので、DVDを所有して繰り返し観たいコンテンツであるということですね。