日別アーカイブ: 2016年7月13日

ギャル文化とギャルブランドが廃れても、セシルマクビーは生き残った理由

相次ぐギャル雑誌の廃刊や、渋谷から姿を消したギャルなどと、ギャル文化は廃れたと言っても過言ではないかと思います。それと同時に、90年代後半から2000年代前半に一斉を風靡した数々のギャルブランドも、姿を消したようです。

そんな中、渋谷109ブーム以降、年間200億円以上の売上(2009年1月期)を誇るブランド、セシルマクビーがあります。渋谷109で13年連続の売上1位を記録したこのブランドは、なぜ生き残ることが出来たのでしょうか。

他のギャルブランドと違い、品揃えのコンセプトを一本化しなかった

ギャルブランドの特徴といえば、ショップ全体でコンセプトが一本化されていることです。カワイイ系やセクシー系など、ショップごとの系統が明確に決められており、ブランドの大ヒット商品をギャルの大多数が持っているというのが、90年代後半によく見られた光景でした。女子高生たちは「me Jane(ミ ジェーン)」のショップバックをみんな肩から下げていましたし、夏になると「ALBA ROSA(アルバローザ)」のハイビスカス柄のワンピースを着たギャルが渋谷をよく歩いていました。お尻にブランドロゴが入った「COCO LULU」のショートパンツも、多くのギャルが持っていたアイテムでした。多くの売れているギャルブランドは、ショップのブランドコンセプトを絞った上で、みんなが持っている大ヒット商品生み出す構造になっていたのです。しかし、セシルマクビーは取扱うコンセプトを一本化せずに、基本的にはセクシーでありながら、エレガンスやカジュアルなど多岐にまたがる商品ラインナップを取り揃えていました。ギャル文化が衰退し「1つの大ヒットアイテムをみんなが持っている時代」が終わってからも、多様な商品ラインナップを備えていたため、ギャルに限らず若年層女性が好むファッションブランドとしての地位を確立出来たのです。

「渋原ミックス」に見るギャルファッションの衰退

一方、その他のギャルブランドはギャルファッションの衰退とともに、姿を消していきます。ギャルファッションとそれ以外のファッションの境界線があいまいになってきたと感じたのは、2008年頃からです。当時ポップティーンを卒業しつつも、まだまだギャルのカリスマだった益若つばささんが「渋原ミックス」というファッションスタイルを提唱していました。渋谷109のショップの洋服に、古着や原宿ラフォーレの洋服を合わせるという着こなし提案をしていたのです。これまでは、渋谷系は渋谷系、原宿系は原宿系として両者のカルチャーが混ざることはありませんでした。しかし、このあたりからギャルファッションの垣根が消滅し、やがてギャルブランドはその他のアパレルを含んだ多くのブランドのうちのひとつになっていきます。みんながひとつのブランドのヒットアイテムを持っている時代が終わったのです。

ファストファッションと渡りあえる構造

ひとつのヒットアイテムをみんなが持っているという構造が終わったタイミングは、ファストファッションの台頭と重なります。H&Mが2008年9月に日本初出店となる銀座店をオープンして以来、店舗を拡大しており、日本での2015年度の売上は前年112%増の約525億円となっています。H&MやZARAなどのファストファッションが日本でも台頭したことにより「安くてカワイイ」がテーマのギャルブランドは、ダイレクトに顧客を奪われることになります。さらに、これらのファストファッションの特徴は品揃えの豊富さと、そのラインナップの入れ替わりの早さにあります
生産から小売りまでを一貫して行うSPAという方式をとっており、商品開発から売り場に並ぶまでのリードタイムが非常に短いのが特徴です。店頭の商品が数週間で入れ替わるため、顧客はその場で気に入った服があればすぐに購入するモチベーションが生まれます。一部の人気商品が売れ筋であったギャルブランドとは、対照的な構造です。ファストファッションがあるから、消費者が多種多様な製品を買うようになったのか、消費者の多種多様な商品が欲しいというニーズにファストファッションがマッチしたのかはニワトリタマゴの関係です。いずれにせよ消費傾向はみんなが持っているアイテムを購入することではなく、自分に合った安くてカワイイと思うアイテムを購入する方へとシフトしたのです。
多くのギャルブランドは、このトレンドが変わるサイクルの早さに追随できなかったように思いますが、セシルマクビーはファストファッションに負けないスピードで商品を投入していたようです。2012年に行なわれた代表取締役会長の木村達央氏のインタビューでは次のように語っています。

感性が鋭く、移り気な若い女性向けファッションなので、商品回転も速く、年間20回転もする。そのため取引先メーカーは、商品によっては「依頼を受けてから3~5日でファーストサンプルを納品する」(取引先)という早さだ。メーカー側は、事前に生地や小物材料もストックしておく。サンプル納品後の急ぎの部分修正も多い。
https://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=57821

さらに、流行のSPA方式ではなく、取引先アパレルメーカーが製造を提案した商品を揃える「品ぞろえ型」の手法を貫いているそうです。

品ぞろえ型を追求する理由を、木村さんはこう説明する。
「このビジネスモデルは、昔から変わらない手法です。『SPAでないとこれからのアパレルは生き残れない』といわれた時期もありましたが、当社は50社近いアパレルメーカーとの共同作業で、その神輿(みこし)に乗っているのです。1人のデザイナーが商品を考えるよりも、50人で考えたほうが、いい商品ができると思っています」
https://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=57821

顧客至上主義のこだわらない経営

木村氏は、現場や社員への権限委譲を大きくとった「任せる経営」を貫いてきたといいます。そして、セシルマクビーがギャルブーム終焉後も残った最も大きな要因として、顧客にあわせてブランドを変遷させていく「こだわらない経営」があるようです。

ジャパンイマジネーションでは、入社を希望する応募者に伝えることがある。「ウチはアパレルではなく、小売業です」という言葉だ。
同社がファッションビジネスで重視することは、送り手としてのこだわりではなく、受け手の視点で考えること。お客が何を求めているかで、ブランドのテイストもどんどん変えていく。
「経営者のこだわりが強すぎる会社はダメになる」というのも、木村さんの持論だ。
https://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=57821

顧客の動きをいち早く察知するには現場主義の姿勢が重要であり、それ故に現場や社員に大きく権限委譲を取っているようです。
多くのギャルブランドが「ギャルブランド」というカテゴリへのこだわりを捨てきれなかったからこそ、衰退していってしまったのかもしれません。対してセシルマクビーは、顧客の反応を見ながらどんどんブランドのテイストを変遷させ、今日にいたるのです。

しかし、そんなセシルマクビーも安泰ではなく、2014年時のニュースを見ると、売上が減少し続けており、15年1月期に入っても全店ベースの売り上げが、前年比10%以内で減少する月が続いているとあります。
いまだに売上が伸びつつけるファストファッションや顧客の趣向の多様化が進んでおり、近年では売上に苦戦している様子が伺えます。
2016年には会長職に退いていた木村達央氏が代表取締役社長に復帰するというニュースもあり、これからブランドのテコ入れを図っていくようです。

■参考・出典URL
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160128-00010002-wwdjapan-bus_all
https://www.rosei.jp/jinjour/article.php?entry_no=57821
https://www.wwdjapan.com/business/2016/02/19/00019681.html