月別アーカイブ: 2016年3月

伊坂幸太郎や池井戸潤より売れている!?あなたの知らないラノベの世界

伊坂幸太郎や池井戸潤よりも売れている、ライトノベル作家がいた

書籍のジャンル別売上ランキングを調べていて気づいたのですがライトノベルは日本の売れている文芸小説よりも全然売れています。作家別の年間売上を見るとこのようになっており、この黄色い色がついている方々はラノベの作家の方々なのです。

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一般的には知名度がある伊坂幸太郎や池井戸潤よりも、大森藤ノというラノベ作家さんの方が書籍の売上的には上なんですね。
ということで、予想外にライトノベルの市場が大きかったことにびっくりしたので深堀りしてみたところ、意外とライトノベルが身近だということが判明しました。
ライトノベルを読んだことはなくても、ドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」や「掟上今日子の備忘録」などの名前は知っていますよね?実はこれ、全て原作がライトノベルなのです。他にも「涼宮ハルヒ」というタイトルは皆さん聞いたことあると思いますが、アニメ作品だと思っていたら、原作はライトノベルでその後アニメ化されていたのです。
ライトノベルを積極的に読まない層にとっては「ドラマ」や「アニメ」作品として認知されている作品の原作は、ライトノベルであることが多いようです。まさにメディアミックスというやつですね。(ちなみにアニメからスタートしてライトノベル化される例も。)

このように、ライトノベルから始まり、その後ドラマやアニメに展開するなどして市場が成長してきたようですが、実はここに来てラノベ市場がシュリンクしていると言います。

本当はむしろ拡大しているライトノベル市場

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「Matsuの日記」 よりグラフ引用
http://d.hatena.ne.jp/Matsu23/20150420/p1

こちらは、出版月報 2015年3月号「特集 2014年文庫本マーケットレポート」より作成したというグラフのようですが、確かに2012年の284億円を頂点にして下降気味になっています。
色々なネットの情報を見ると「ライトノベルが似たような話ばかりになり、質の薄いコンテンツが量産された」というコメントもありましたが、紙から電子書籍にシフトしているのが要因だと思います。

この記事によると、2012年度時点で角川グループ運営する電子書籍サイト「BookWalker」ではライトノベルの売上比率が50%と発表されており、角川グループ全体の電子書籍売上は24億円に登る見込みだとあります。

角川グループの電子書籍ビジネス、年間24億円規模に(2012年度)
http://ebook.itmedia.co.jp/ebook/articles/1304/25/news086.html

さらに2014年時点の以下記事には、角川グループの電子書籍の売上についてこんな記述があります。

大きな成長を見せたのはネット・デジタル関連部門である。売上高は216億400万円と29.7%と高い伸びとなった。電子書籍配信の「BookWalker」の売上げが前年の3倍になるなど、電子書籍事業の成長が牽引した。
出典:http://www.animeanime.biz/archives/19854

2012年度から2014年の2年あまりで電子書籍の売上規模が10倍近くに膨らみ、ライトノベルの扱い比率が高い「BookWalker」も倍以上の速度で成長していることが分かります。このライトノベルの2015年度の売上ランキングを見てもトップ10のうち7作品を角川のレーベル(電撃文庫、角川ビーンズ文庫、メディアワークス文庫)が占めているため、角川の電子書籍のラノベが急伸しているということは、ライトノベル全体が急伸しているということになります。

ということで、ライトノベルの販売が伸び悩んでいるというグラフに戻ると2012年の284億円が2014年に225億円にヘコんでいる(その差59億円)のですが、角川の電子書籍の伸びを見ると、紙でライトノベル買っていた層が電子書籍に移っているだけで、むしろその層はさらに拡大しているように思えます。

ということで、電子書籍を含めてライトノベル市場はまだまだ拡大しているように見えるのですが、結論としては角川グループがすごいということでした。電子化も上手くいっているので、ラノベについてはこの先10年は安泰なのではないでしょうか。

※角川は正式名称カドカワ株式会社ですが、耳慣れないので角川と表記しています。

宮崎駿や村上春樹に見る、コンテンツの普遍性と「物語」の役割

コンテンツやアートの本質は普遍性にある?

コンテンツやアートの本質とは、見てる人たちに「普遍性」を持たせられるかということだと思うんですね。

一番最初のレベルが、既に共通の知識がある題材を取り扱うことでコンテンツ自身に「普遍性」が備わってる場合。

たとえばお笑いの漫談などで時事ネタを扱うものがあります。政治家の失言や、芸能人のゴシップなど、皆がすでにニュースなどで得ている共通の知識を下地にしているので「普遍性」を持たせやすいのです。
バズメディアでやたら「猫」の写真がシェアされるのも「猫は可愛い」という一種の普遍性であり、題材に手を加える必要がありません。ネットではこのお手軽な「普遍性」を持ったコンテンツが多いように思います。ゴシップもそうですし、ソーシャルゲームも人間に備わった射幸性を刺激するという意味ではプリミティブな普遍性なのかもしれません。

次のレベルは、観る人たちに一定の知識を求めるコンテンツやアートです。観る側が共通知を持っていることによって、コンテンツに自身で普遍性を添えていきます。例えば古典アートがそうですね。印象派とか、キュビズムがどうとか、バックグラウンドの知識を備えておかなければアートを咀嚼出来ません。こういったコンテンツやアートを味わうには体系的な知識が必要なのです。古典アートの他にも、ファッションというコンテンツを咀嚼するにも、体系的な知識を得ていた方が普遍性を持ちやすくなります。スポーツを観戦するときもルールが分かっていた方がより分かりやすいですし、そのチームやプレイヤーの歴史についての知識があったほうがより普遍性を持ったコンテンツになります。阪神タイガースなんかその最たるものですよね。

そして次のレベルは「なんだかよく分からないけど、普遍性を持つ」というものです。冒頭でお笑いの漫談を例に出しましたが、シュールと言われる種類のお笑いがあります。初期のよゐこは、シュールなコントをする芸人でした。美容院のコントでヘアスタイルを「たくあんにして」と客に言われて頭にたくあんを乗せるコントがあります。頭にたくあんを乗せることが面白いという普遍性はないですが、笑ってしまう。これは人間の無意識のところに働きかけて普遍性を持たせていると言えます。
ラーメンズという美大出身のお笑い芸人(と呼んでいいのか)のコントを、故立川談志さんは「誰もが知っている常識を共感の道具として持ってくることは簡単なのだけど、ラーメンズは人間の無意識化のところで共感を作りだしている」と評していました。

普遍性を持たせるのは「物語」という箱

そして、この「なんだかよく分からないけど、普遍性を持つ」ということに有効なのは「物語」の存在です。主人公とともに、「物語」に没入することで、私たちはある種のフィルターを手にすることが出来、その「物語」は普遍性を持ちます。宮崎駿さんの作品は、公開されるたびに興行収入が200億前後を越えていますが、2000年代半ば以降の作品は解釈が難しい作品もあります。「ハウルの動く城」なんかは解釈の仕様がいくらでもありますし、難解な箇所もあるのに500万人も動員しています。観客側に共通知がなにのに普遍性を持たせることが出来る。これが「物語」という箱のなせる技でしょう。

同様に作家の村上春樹さんも「物語」の重要性について、過去にエッセイなどで何度か触れています。村上さんの作品も世界中で翻訳されて多くの読者を獲得していますが、彼の初期の作品は東京を舞台にした男性のごく個人的な視点で描かれる小説です。この作品が世界じゅうで受け入れられるのも、物語としての普遍性を獲得しているが故だと言えます。

また、優れた「物語」は、多重構造になっています。例えば先ほどの宮崎駿監督の最後の長編作となった「風立ちぬ」ですが、これを一番分かりやすい解釈で観ると「戦争を背景にした悲恋物語」ですが、岡田斗司夫さんの解釈ではこれはもっと残酷な話だという評もあります。

さらに「崖の上のポニョ」も、普通に観ると親子で観られるカワイイ生き物(?)が登場するハートフルストーリーとして片付けることも出来ますが、これは神話なのではないかという考察もネット上に流れました。

このように優れた物語とは、多重構造になっているが故に、何回も咀嚼することが出来るし、今観た物語と10年後に観る物語では全く違う内容をとして取ることが出来る可能性があります。
そしてこの「物語」の作り手として世界的に有名なのがトルストイやドフトエフスキーなどのロシア文豪でしょう。特にドフトエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」の層の厚さはすごい。”3人の兄弟を主軸にした家族の物語”とも読めますし”宗教文学”とも読めますし”ミステリー小説”としても読めてしまう。最近は日本のベストセラーに並んでいる小説を観ると、100人が読んでも同じ解釈が出せる「筋書き」的な物が多いのかなと感じます。

こういった多重構造を持つ「物語」を咀嚼するというのは、人生の滋養を得るという意味で重要だと思うんですね。自分とは違う主観のフィルターを通して物語を追体験するということは、長期的に観て多様性の獲得に繋がると思うのです。最近はゼロかイチかの解釈が割り切られることが増えているように思うのですが、個人的な主観で描かれた普遍性を持った「物語」を私たちはもっと咀嚼すべきだと思うのです。


ブーム成熟後は「ブーム」×「コンセプト」で新コンテンツを

AKB以降のアイドルブームが成熟に達した結果

AKBが「会いに行けるアイドル」というコンセプトを打ち出して「会いに行けるアイドルブーム」が生まれた結果、各地でご当地アイドルなどが頻繁に握手会やイベントをやるようになりました。このように「会いに行けるアイドルブーム」にプレイヤーが大量に参入するため「会いに行けるアイドルが流行ってるよね」というブームが形成されるのですが、成熟していくと、それ単体ではなかなか注目されなくなります。
その後起こる現象は、新しいコンセプトを掛け合わせることです。

たとえば「ドール(お人形)」をコンセプトにしたアイドルとか、「サブカルチャー」をコンセプトにしたアイドルとか、なんと「釣り」をコンセプトにしたアイドルまでいるんですね。これは基本となる「アイドル」にさらに新しいコンセプトを掛け合わせて独自性を確保しようとしているわけです。

・アイドル×「ドール(お人形)」
・アイドル×「サブカルチャー」
・アイドル×「釣り」

1つのジャンルがブームを経て飽和になると、別の物事と掛け合わせて独自性を確保するフェイズになります。そして、そのカテゴリは細分化していくのですが、この現象が進んでるいるなと思うのが「食マンガ」です。

「孤独のグルメ」以降、大量に生まれた食マンガ

そもそも「食マンガ」自体がかなりニッチだったのですが、「孤独のグルメ」が注目されはじめたあたりから、かなり「食マンガ」が増え始めました。今では前述のアイドルのように、別のコンセプトを組み合せた食マンガがたくさん登場しています。
(そもそも「孤独のグルメ」自体が、「食」× 一人飯 という掛け合わせですが。)

例を挙げるとこんな感じで食マンガって色々な掛け合わせで作品がめちゃくちゃ広がっているのです。

・食 × お取り寄せ = 「おとりよせ王子 飯田好実
・食 × ラーメン = 「ラーメン大好き小泉さん
・食 × 戦争 = 「戦争めし
・食 × 簡単ひとりレシピ = 「花のズボラ飯

と、このように広がりを見せる食マンガなのですが、ハッとさせるられる組み合わせの食マンガを見つけてしまいました。

・食 × ヤクザ

です。(なんだ食 × ヤクザって。)
タイトルも「紺田照の合法グルメ」という、いかにもなタイトルなのですが、料理好きの新人組員の台所にスポットを当てた作品。本編を読んだことはないのですが、ネットの情報を見ると「大葉は合法ハーブの中でも最高」というセリフや、レンコンを「野菜界のリボルバー」と呼ぶなど、たまらんフレーズが頻出していて、話題になっているようです。

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出典:http://www.magazine-r.co/comics/20/
「大葉は合法ハーブの中でも最高」など、たまらんフレーズが頻発するヤクザ料理マンガ「紺田照の合法レシピ」

というわけで「アイドル」や「食マンガ」など、一定のブームの流れが出来た後は、別のコンセプトとかけ算にしたコンテンツが流通し、その組み合わせが秀逸な物は話題になると思うのですね。
この組み合わせの妙を考えるのが、企画の勘所と言えるのかもしれません。

マーケティングは、誰かのビオトープをぶっ壊すかもしれない件

美味しいビールと適当なドイツ料理を出していたビール工場のレストランは今…

横浜にキリンビール工場がありまして、その入り口付近に「スプリングバレー」というレストランがあります。工場の作り立てのビールが飲めて、さらにオリジナルの地ビールも飲めるということで夏場はけっこう混んでたのですが、冬に行くとガラガラだったりしていました。

前からこのレストランがけっこう好きで、たまに行ってはビールを飲みながらチーズフォンデュをつついたり、酸っぱいキャベツ(ザワークラウト)をつまんで、オリジナルビールを楽しんでいました。ビールの種類もそんなに多くなかったのですが、一度にたくさん飲めるわけじゃないですし、その「美味しいビールと適当にドイツっぽい料理出してますよ」感が好きだったのです。

そして先日、かなり久しぶりにこのレストランを訪問して驚愕しました。
「なんじゃこりゃ」って、のどまで出かかりました(というか出ました。)適当な感じで美味しいビールを提供していたレストランが、マーケティングのマーケティングによるマーケティングのためのマーケティングが施されていたのです!

数種類しかなかったビールも6種類のテイストビールとフードのペアリングとかいう、オシャレくさいラインナップになっており(ペアリングってなんだ)それぞれのビールの解説カードもついてきます。(6つのうち、だいたい2つはまずい。ゆずビールとは何なのか)
2015062500046_2 出典:http://dot.asahi.com/aera/2015062500046.html

料理も適当な感じで出してたチーズフォンデュが消えて、オシャレなカリカリチーズの何かみたいなのがメニューリストを占拠しており、左を見ても右を見てもあのザ・テキトーなドイツ料理は消え失せていたのです。
お店のWebサイトも、以前は工場の公式サイトの一部に控えめに「さりげなくやってますよ」的な立ち位置で掲載されていたのに、オシャレによるオシャレのためのオシャレなウェブサイトになってしまいました。

▼ザ・オシャレサイト
http://www.springvalleybrewery.jp/yokohama/

「しまいました。」って、しまいましたと思っているのは私だけなのですが、きっとこのマーケティングによるマーケティングの…(以下略)には、巨額の投資がなされプロのマーケターたちがコンセプト立案からフードやビールのメニューから店内の云々に至るまでをプランニングし、美味しいビールを出す適当レストランは、マーケティングによるビールを中心としたアミューズメントスポット的なレストランに生まれ変わってしまったのです。
しかもけっこう混んでるので、売上もついてきているのでしょう。(食べログも3.5だってさ。)

ということで、個人的なビオトープだった場所とかモノとかコトが、マーケィングによる…によってぶっ壊される自体というのは往々にしてよくあります。直近の例でいうと「ku:nel(クウネル)」のリニューアルなんかそうでしょう。

このAmazonレビューなんて、まさに「ku:nel(クウネル)」をお気に入りのレストランのメタファーとして描いています。

お気に入りの小さなビストロが、改装のためしばらく休んでいた。
新装開店で行ってみたら、店名が同じだけの別の店になっていて。
素材にこだわって丁寧につくられていたメニューは一新されて、
よその店でも食べられるような個性のない料理が並んでいる。
客層もがらっと変わってしまって、目をキラキラさせた韓流おばさんばかり。
バブルの頃に一世を風靡したシェフを呼んできたらしいから、
その頃のファンが集まるような店にしたのかも。
そういえば店内も、ひと昔かふた昔前のオシャレを演出してる感じ。
なんとなく安っぽく感じるのは気のせいかな。
壁にはシェフの知り合いらしい有名人のサインがベタベタ貼ってある。
「みっともない」思わずつぶやきとため息が漏れた。
前は落ち着いてじっくり考えごとができる、素敵なお店だったのに。
私が大好きだったあの小さなビストロは、もうどこにもないんだな。
お気に召さないお客様はけっこうです、とシェフが言っているみたい。
そんなこと言われなくても、もう二度と来ませんから。
でもね。
最後にせめて、かわいいマスコットくんに「さよなら」が言いたかったよ。
http://www.amazon.co.jp/nel-%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%83%8D%E3%83%AB-2016%E5%B9%B4-03-%E6%9C%88%E5%8F%B7/product-reviews/B019P1VY1S

しかしポイントは、リニューアルした「ku:nel(クウネル)」がけっこう売れているという情報もあり、マーケティング…によって常連さんたちが置き去りにされたとしても、確実に新たな客層をつかんでいるんですね。
「スプリングバレー」も「ビール好きが落ち着いてビールを飲みにいくところ」ではなく「平日や週末に友達や恋人と行きたいアクティビティスポット」みたいに顧客の定義を切り直した結果、顧客の母数が広がったわけです。

それはそれで営利企業として正しい行為だし、売上があがったならば万々歳だと思うのですが、置いてけぼりにされてしまった方は「あなたは、もうそこにはいないのね…」と一抹の寂しさを感じてしまうのでした。

「ONE PIECE」は年間1千万部も売れてる!?書籍のジャンル別売上を調べてみた

紙の本が売れない中、売れてる本ってどのくらい売れている?

発行部数が減少していると言われる紙の本ですが、いったいどのジャンルが人気なのか、なかなか分かりづらいですよね。先日読んだブログで「ビジネス書は売れているけど、コラムは全く売れない」という文言を目にして、売れ筋ジャンルの本を調べてみました。

まず「日本の出版統計」を見てみると、書籍の売上は96年の1兆数百億円をピークに下がり続けており、2013年には8,000億円を割っています。16年間で2,000億円以上縮小しているのが分かります。

01 出典:http://www.ajpea.or.jp/statistics/

では2015年のジャンル別売上ベスト5を見てみます。オリコンの「文芸(小説)ランキング 1位~10位」のベスト5をグラフにしてみると「火花/又吉直樹」がダントツの223万部を売り上げていますが、2位以下を見るとだいたい20万部前半から後半であることが分かります。

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では次に、売れているビジネス書がどのくらいのレンジが見てみます。紀伊国屋書店の「2015年の政治、経済書籍の売上ランキング」に入った本のうち、発行部数をグラフにしたものがこちらです。

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発行部数が2015年前半時点なので、もう少し伸びている可能性はありますが、7万部から15万部のレンジになっています。ビジネス書は文芸に比べて半分以下しか売れていないように見えますが、ビジネス書を購入する人の1年あたりの購入册数は文芸書よりも高いことが想定されます。つまり、購入者の母数は少ないけれど、購入回数は多いというソーシャルゲーム的な購入者の構造になっていることが想定されるので、ビジネス書全体で見ると文芸書にひけをとらないのかもしれません。

そして、「ライトノベル」というランキングがあったので見てみると、けっこうすごい結果になっています。上位5位の部数が25万部〜32万部のレンジとなっており、なんと文芸書籍よりも売れているんですね。ここまで「ラノベ」市場が大きいことを知っていましたか?

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伊坂幸太郎や池井戸潤よりも、売れている作家がいた!

ちなみに、文庫の作家別売上というものもあったので、こちらをグラフにしてみました。

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黄色い色がついている方が、ライトノベル作家と推定される方々ですが、なんと一般的な知名度はダントツだと思われる伊坂光太郎さんより売れている作家が3人もいるのです。そのうちの2名は、湊かなえさんより売れており、そのうちの1名は「下町ロケット」の池井戸潤さんよりも売れているのですね。伊坂光太郎も湊かなえも池井戸潤も、一般的には人気作家として認知されてますし、著書が何作も映画化・ドラマ化されています。しかし、一般的な知名度はなくとも、彼らより売れているライトベル作家が存在するのです。
これもまた、先ほどの「ビジネス・経済書」と同じく「購入者数の母数は少ないけれど、購入回数は多い」という構造になっていることが想定されます。さらに、ライトノベルはシリーズ物になっている物が多く、1年のうちに同シリーズの本が2〜3冊以上出版されるようなので、一度ファンになると同シリーズをずっと購入し続けるという構造になります。それ故、一般的な知名度が高い作家さんより、ライトノベル作家の方が発行部数でいうと上になるのですね。

ライトノベルと同様に、シリーズモノで年に2〜3冊以上発行される仕組みを持った書籍といえば、コミックです。コミックの売上ベスト5を見るとこのようになっています。

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最早これはコミックの売上ベスト5ではなく「ONE PIECE」の売上ベスト5になっています。「ONE PIECE」が1巻出版されると、300万部前後売れるということですね。よく「ONE PIECE」の発売日の早朝に、店舗の外に特設コーナーを作って手売りしている書店員の姿を見かけますが、こんだけ売れるんだったらやるよねという話です。

以前、作者の尾田栄一郎先生が、ストーリーのキリが悪いので12話分を1巻に掲載したいと集英社に依頼をしたところ、巻末にて「集英社からは今後はもう二度とないと思えと怒られました」と明かしています。(それまでは、1巻10話程度と思われる。)
確かにこの売れ方を見ると、話を1巻分に詰め込んでしまうと、コミックの出版册数が減るわけで、出版社的には「もう二度とやるな」なのかもしれません…。

ちなみにコミックのランキングの5位以降は「進撃の巨人15、16、17」が並び、その下に「NARUTO-ナルト- 72」、「東京喰種トーキョーグール:re 1」、「暗殺教室 12」となっており、ベスト10より上位はいずれも100万部を越えています。

各ジャンルの平均値を比べると分かる、マンガ大国日本

ということで、ここまで出て来た各ジャンルの上位平均を比較したグラフがこちらです。(文芸の「花火」とコミックの「ONE PIECE」は抜いて平均値を出しています。)

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こうやって見ると本当にコミックが強い。日本って本当にマンガ大国だなーと思います。マンガ雑誌(コミック誌)と単行本(コミックス)を比較してもこのようになっています。

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出典:http://www.ajpea.or.jp/statistics/

これを見ると、マンガ雑誌(コミック誌)の売上は減少していますが、単行本(コミックス)の売上は2000億円ちょいで横ばいになっているのです。単行本(コミックス)に関しては、まだまだ紙の本を定期的に購入する流れが続いていることになります。しかしコミックランキングの1位〜4位までが「ONE PIECE」で、5〜7位までが「進撃の巨人」であることを考えると、めちゃくちゃ売れている作品と全く売れない作品の2極化が進んでいることが想定されます。

ということで、まとめるとこのような形です。

・書籍の売上は減少し続けている(96年あたりの1兆数百億円をピークに2013年には8,000億円を割る)
・下がった母数の中でも一部の超ヒット作品とそうでない作品の2極化が続く
・ライトノベル市場が意外と大きそう
・単行本(コミック)においては横ばい傾向なので、定期的に紙の単行本を買う習慣がある
・購入者は少数でも、購入回数が多くなるジャンルは有利(さらにそれがシリーズ物だと年間の購入単価が上昇する)
・単行本(コミック)は、2〜3ヶ月に1回は新刊が出る上に購入者のパイも大きいので、最も年間の売上数が大きくなる
(・が、上記により漫画家は手塚治虫先生の時代より過酷な労働になっているため、健康が心配。尾田栄一郎先生はあのスケジュールのまま健康を維持出来るのだろうか。もうちょっと冨樫義博先生のスタイルを取り入れてもいいのかもしれない。)

個人的には、エッセイがすごく好きなのですが、これを見る限りきっとエッセイは売れても数万部、中には数千部というのもザラなのでしょう。書籍の話に限らず、全体のパイが縮小する中で、一部大勝ちするコンテンツとその他大勢に別れているというのは、全てのコンテンツに共通するテーマなのかなと思いました。

ちなみに、最近マンガ系のスマートフォンアプリが多いのも、これを見ると頷ける結果ですがライトノベル系のスマートフォンアプリってあるんでしょうか。ターゲットが若年層で、かつ一度購入するとサブスクリプションモデルで提供し続けられそうなので、ライトノベルをアプリで定期購入型にするというのは良いプランかもしれないなと思いました。
テキストのみでいうと、かつてエブリスタとかもありましたが、ライトノベルは文章と同様に絵師も重視されると思います。スマートフォンになって表示領域も拡張しているので、リッチなイラストとテキストをパッケージにして有料課金してもいけそうですね。

※グラフはオリコンの2015年 年間本ランキングと推定部数を参考にしています。
※「政治」「経済」は 紀伊国屋年間ベストセラーを参考に、部数を調べて推定値を掲載しています。

出典一覧
http://www.oricon.co.jp/special/48458/13/ http://www.oricon.co.jp/special/48458/14/ http://www.oricon.co.jp/special/48458/10/ http://www.oricon.co.jp/special/48458/5/ https://www.kinokuniya.co.jp/c/20151201123023.html http://www.niigata-nippo.co.jp/sp/more-ct/blog/enjoy-winter/045839.html http://qbiz.jp/article/54265/1/ http://www.kadokawa.co.jp/company/release/detail.html?id=2016202139 https://www.atpress.ne.jp/news/75073 http://mediadata.diamond.ne.jp/static/admin/wp/wp-content/uploads/2010/10/DiamondNEWS_vol6.pdf http://fukui.keizai.biz/headline/95/ http://www.j-magazine.or.jp/magadata/index.php?module=list&action=list&cat1cd=2&cat3cd=20&period_cd=1

水木しげる先生の自伝エッセイが、金言と教訓に溢れている件

水木しげる先生といえば、言わずと知れた大御所マンガ家で、昨年惜しまれつつもお亡くなりになってしまいました。最近、ふと書店で水木先生の自伝エッセイ見つけたので読んでみたところ、めちゃくちゃ金言と教訓が溢れすぎており、止まらなくなってしまったんですね。

九死に一生を得まくる水木先生

水木先生といえば、壮絶な戦争体験をくぐり抜けたことで有名ですが、改めてこのエッセイを見ると「よくご無事で」というくらい九死に一生を得ています。

簡単にその模様を説明すると…

・南方の激戦地「ラバウル」に行かされ、
・ボロボロの船で出航し、敵の魚雷が迫って来たがスレスレで逸れ、
・上陸後、見張りをしていた時、望遠鏡で熱帯の鳥に見とれている間に一緒にいた仲間が襲撃されたけれど、自分だけ助かり、
・助かったものの、仲間は全員死んでしまったので数日かけて味方の陣地まで命を狙われながら帰り、
・帰ったと思ったらマラリヤにかかり、42度の高熱が出て、
・やっと元気になったと思ったら爆撃により左手を失い、麻酔なしで手術する

さらに色々あるのですが、これだけ見ても何回命を落としていても不思議じゃないですよね。しかも、常に不幸の中にもラッキーが起こっているのです。例えば仲間が襲撃された時、水木先生は朝方の見張り当番なので仲間を起こしに行こうとしてたいのですが、望遠鏡で熱帯の鳥に見とれていたため、起こしに行くのが遅れたのです。敵軍は水木先生が戻るのを待って一網打尽にしようとしていたのですが、水木先生がなかなか自分のテントに戻らなかったので、命が助かりました。
さらに、爆撃により左手を失ったものの、爆撃を受けた時にいたのが療養所だったため、近くの衛生兵が即座に止血をしたおかげで助かりました。このあたりを振り返り、水木先生はこのように語っています。

人間が生きているということには、自分の力以外にどんなものの力が作用しているか知れない。自分の意志以外の様々な要素が自分を生かしているとしか考えられないことを軍隊生活では如実に体験した。

どんな環境にも幸福を見つける

ラバウルでは左手を失ったため作業要員となるのですが、現地の民族ととても仲良くなります。水木先生は現地語でコミュニケーションを取りながら「パウロ」という名前まで与えられて、民族のお祭りにまで参加するようになるのです。

土人たちの生活ぶりは、僕が子供の頃からあこがれていた「遊びと食うことが一致している」生活のようで、軍隊で苦しい目にあっている僕にとっては全く天国なのだ。僕は、部落へ遊びに行くたびに観察していたのだが、彼らは一日に三時間くらいしか働かない。熱帯の自然は、それぐらいの労働で十分に人間を食べさせてくれる。熱帯だから、衣料も住居も簡単でいい。人間が自然に対して闘いを挑むのではなく、自然が人間を生かしてくれるのだ。

戦地という過酷な状況で左手を失いながらも現地の民族の人たちとの交流を楽しみ、さらに自然にも感謝出来るというその心持ちがすごい。最終的に水木先生は現地の民族と一緒に暮らそうと、軍隊を現地除隊しようとするのですが、懇意にしていた軍医の先生に留められて帰国することなります。

状況を俯瞰して見切る視点

日本に帰ってきてからも、なぜか魚屋をやったりアパートを経営(このときのアパートの名前、水木荘がそのままペンネームになったそう)した後に、紙芝居を描くようになります。紙芝居屋は労力の割に儲からず貧困が続くのですが、そのような中でも市場を冷静に判断しています。

僕は、紙芝居は、本当にアカンようになりかけているのだと思った。子供の頃に、日露戦争の広瀬中佐の映画を見たことがあるが、沈みゆく船では、ある時機を逸すると、もはや逃げることもできず、まきぞえをくってしまう。僕は、今こそが、紙芝居丸の沈没の時だと思った。逃げなければならぬ、遅れるとアブナイ。

その後、貸本マンガの世界に活動の場を移しますが、相変わらず貧乏からは抜け出せず、貸本マンガも紙芝居と同様に衰退していきます。そんな中、うっすら知り合いだった貸本マンガ家が餓死してしまったという知らせを受けるのです。

そんなことが、と、貸本マンガ世界を知らない普通の人は思うかもしれない。しかし、本当に、こういうことがあり得る世界だったのだ。貸本マンガの世界には、餓死か栄光かの二つに一つしかなかった。栄光とは、雑誌マンガに移行して生き残ることである。

水木先生は貸本マンガにも見切りをつけて、雑誌マンガに移行して行きます。やがて代表作の「ゲゲゲの鬼太郎」で大ヒットを飛ばすのですが、この雑誌マンガに移行した時の状況判断がすごい。雑誌マンガの編集者が執筆の依頼に来たのにも関わらず、断ってしまいます。

その頃「少年マガジン」の編集者がやってきて、宇宙ものを描いてくれという。しかし、僕は宇宙ものは得意ではない。貸本マンガの連中で、雑誌から注文がきたのはいいが、不得手な分野なのに引き受けて、後で苦労した人が何人もいた。貸本マンガに引き返そうにも引き返せず、不得手な分野は当たらない、というわけだ。そういう例を知っていたから、僕は、この話は断った。

貧困の中で雑誌マンガに移行することを渇望していたら、例え苦手分野でも引き受けてしまうのが人の弱いところだと思います。しかし、水木先生はこれを冷静に断って、その後同じ編集者が「方針が代わったので好きな物を連載して良い」というオファーを持って来てから自分が得意なジャンルのマンガを連載するようになるのです。
こういう状況や周りの意見に流されない水木先生のスタンスは、この自伝の各所に現れていて、戦争の機運が高まって周りが皆「玉砕だ」と叫んでいる中でも、「先生、戦争も満州まででエエんじゃないですか」などと発言して非国民扱いを受けたと言います。

「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」は改善の産物!?

代表作「ゲゲゲの鬼太郎」は「墓場の鬼太郎」という水木しげる先生の紙芝居が元になっています。これは完全に水木先生のオリジナルではなく、「ハカバキタロー」というオリジナルがあり、それを改善した物だと言うのです。

ただ怪奇なだけでは、いま一つ人気に熱狂さが出ない。ユーモアとアクションが欲しいと思っていたところ、三歳になった兄貴の子供のしぐさがユーモラスであることに気づいた。顔に髪がかかったりしていておもしろい。そこで、その子をモデルにして、怪奇ではあってもグロテスクにならないようにしたら、人気がどんどん出るようになった。

この本を読んでいると、水木先生の作品やキャラクターには下地になる物や人がいて、それに先生なりの工夫や改善を加えて作品に仕上げのだということがよく分かります。同じく先生の代表作である「悪魔くん」の誕生も、実は下地になった文学作品があることが明かされています。

セリグマンの「魔法」(平凡社)を読んでいると、中に、ものすごくたくさんの魔法の話が出て来る。ああ、昔から、人間は、幸福になるために、こんなにたくさんの魔法を考えていたのだなと思い、この本とゲーテの「ファウスト」をヒントに、ノート二冊分のストーリーを作って「悪魔くん」を開始した。

ちなみにかの有名なキャラクター、ねずみ男にも実在のモデルがいるという話が明かされるのですが、それは是非本を読んでみてください。

ということで、水木しげる先生の自伝エッセイには、教訓と金言が溢れまくっているのですが、本のタイトルは「ねぼけ人生」。客観的に見ると戦争体験、その後の極貧の生活、40歳前後になってから急に売れっ子マンガ家になるという激動の人生に見えるのですが、エッセイを見ると、水木先生はどこかそれを俯瞰しながらうまく「やりすごしている」ような印象を受けます。
というのは、おそらく水木先生が人生について、自分ではどうにもならない不確定要素や運を含んで「生かされている」ことを飲み込んでいるからなのではないでしょうか。
貸本漫画家だった時代、「墓場鬼太郎」を掲載した短編マンガ集「妖奇伝」がなくなった時も、その運命の力というのが働いたそうです。

仕事もなくモンモンとしていると、兎月書房からハガキが来た。出向いてみると、熱心な読者が長文の手紙をよこし、「妖奇伝」はなくなっても「鬼太郎」だけは傑作だから何とか続けてくれ、と強く訴えてきたという。兎月のオヤジはその熱意にうたれ、「妖奇伝」の後釜として「墓場鬼太郎」という怪奇物の短編集を出すことにしたと言うのだ。短編集の中心になるのは、もちろん、僕の「墓場鬼太郎」である。人間の運命というものは、本当にさまざまな回路から成り立っているらしい。この熱心な読者の手紙によって、鬼太郎はよみがえることになり、後の僕の代表作の一つともなるのである。

ということで、久しぶりに金言と教訓に溢れたエッセイでした。ここに書いてあるのはほんの一部なので、是非エッセイを読んでみてください。南方ラバウルで出会った現地住民との交流も後日談があります。
※引用出典は全て「ねぼけ人生」水木しげる著より



▼ちなみにニコニコ動画のゲーム実況で「水木しげる」先生が監修・出演しているエピソードがあります。これもまた深い。
伝説すぎるクソゲー『四八(仮)』を実況プレイ【part37】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm26734568

マイナージャンルのゲームにおける、面白いけど知名度が低い問題

スーパーファミコンの時代までは、玉石混合のカンブリア紀だった

こんなまとめ記事を作ってしまうほどには、サウンドノベル好きのチュンソフト信者だった私なのですが、サウンドノベルはマイナーなジャンルです。というか、絶滅寸前かもしれません。
サウンドノベルの草分けといえば「かまいたちの夜」なのですが、1994年に発売された当時は135万本も売れたのです。(今となっては、延々文章を読ませるサウンドノベルが、このレベルで売れることはもうないでしょうが。)

サウンドノベルに限らずミステリー系のアドベンチャーゲームが大好きなのですが、これらのカテゴリはゲーム界においてマイナージャンルであるために「面白いけど知名度が低い」作品が多いという特徴があります。
この現象を加速する要因はスマホにあると思っているのですが、スマホがゲームをするメイン端末になる以前は、そもそも「ゲーム」というカテゴリ自体が、ゲーム嗜好者のための娯楽であって一般向きではありませんでした。ファミコンが出た当時、「マリオブラザーズ」など万人向けするソフトもありましたが、一方で「これ誰が買うんだろう」というマイナーなゲームも多かったのです。(課長島耕作のスーファミのソフトを中古ショップで発見したことがあります。誰が買うんだろう。)
おまけに今のスマホのゲームと比べると難易度も高く、家族向けに作られたはずの「マリオブラザーズ」ですら、だいたいワールド2の砂漠面あたりから進めなくなるのですが、「スペランカー」のようなクリア出来た人が希少という難易度の高いゲームもけっこうありました。

クリア出来る人が少ないということは、プレイヤーも限られますが、当時のゲームソフトは8,000円〜12,000円くらいの価格帯だったため、多分十分にビジネスとして成り立っていたんですね。その結果、先ほどの「島耕作」や「じゃりん子チエ」のゲームという「それ誰がやるの?」っていうソフトがたくさんあって、なかなか楽しかったのです。ゲームカンブリア紀といっていいかもしれません。

任天堂の努力と、とどめのスマートフォン

その後、ハード機のトレンドが任天堂のスーパーファミコンからソニーのプレイステーションに移行して高機能化した結果、やはりゲームをするのはゲーム嗜好が強い人という傾向が高まっていきます。(が、このへんから親切設計になって攻略本がなかったとしても万人がクリアできる仕組みになったり、マルチエンディングシステムが取られるようになるます)
それを再び“家庭用ゲーム機”に引き戻したのが任天堂のWiiです。リビングに置いていてもお母さんに嫌われないゲーム機というテーマで、家族みんなで楽しめるフィットネス系のゲームソフトも登場しました。
さらに、その後スマートフォンが普及した結果「スキマ時間にゲームをプレイする」という需要が生まれて、ゲームという娯楽そのものが一般に解放されてコモディティ化していったのです。

それにより、一番変化したのは「主流となるゲームのジャンル」でした。今スマホゲーム等で主力のジャンルといえばなんでしょうか。圧倒的にパズルやクイズですよね(パズルやクイズをソーシャルゲームというスマホの新しいゲームシステムに載せて提供しているわけです。)しかし、パズルやクイズゲームは、家庭用ゲーム機が主流だった時代はマイナーなジャンルで、その頃の主力は格闘技やRPGなどでした。しかし、ハードがスマホに代わり「スキマ時間に万人ができる」という需要にマッチする、パズルやクイズといったライトゲームが一気に主流になったのです。

生きていけなくなったマイナージャンルのゲーム

「モンスターハンター」シリーズなどの人気タイトルは、家庭用ゲーム機においても生き残っているのですが、サウンドノベルや推理アドベンチャーゲームの類いは、どこで生存すれば良いのか?という問題が生じます。チュンソフトが2008年にWiiにて「428 〜封鎖された渋谷で〜」というゲームを発表したのですが(なぜサウンドノベルなのにWiiなのか)、7.5万本しか売れませんでした。
ちなみに学生時代に毎日一緒にゲームをやっていた友達と「今までやっていたゲームで何が一番面白かったか?」を同時に言ってみたところ「クロス探偵物語」というソフトで一致しました。これも推理ゲーム界の知る人ぞ知る的なゲームなのですが、採算的にはあれだったようで、第2弾が出るという告知まで行なわれていたのに、第2弾が出ることはありませんでした。
そんなこんなで「最近は面白いアドベンチャーゲームないな。」と思っていたら、交渉人の主人公になって、犯人と交渉を行なう「銃声とダイヤモンド」というゲームがおすすめだとネットにあったので、少し実況動画を見てみました。これが、めちゃくちゃ面白いんですが、例に漏れずこのゲームもあまり売れなかったようなのです。ひっそりと生息していたアドベンチャーゲームは、このままなくなってしまうのでしょうか。

アドベンチャーゲームに、万人受けする要素を足す

しかし、推理系のゲームで最近大ヒットしたパッケージが1本だけありまして、それが「ダンガンロンパ」シリーズです。超高校級の高校生たちが校内に閉じ込められ、脱出するためには誰かを殺して学級裁判で犯人だと暴かれないようにするという推理要素満載のアドベンチャーゲームです。すでにシリーズ2作とスピンオフ1作品が作られていて、シリーズ第3弾も発表されています。

この「ダンガンロンパ」と、前述に出て来た「クロス探偵物語」「銃声とダイヤモンド」の画面を見ると、違いが一目瞭然です。「ダンガンロンパ」はアニメ風のキャラクターが登場し、それぞれに濃いキャラ設定があります。さらに、校内でのコロシアイを仕切るのは、モノクマという一見可愛いキャラクター(声は大山のぶ代)。このゲームから推理要素を抜いたとしても、十分にアニメコンテンツとして成立する設計になっています。
一方の「クロス探偵物語」と「銃声とダイヤモンド」は、イラストからして写実的なものになっており、そもそも推理アドベンチャーゲーム好きにしか響かない見た目なんですね。
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出典:http://ameblo.jp/adoventure-kenkyu/entry-10273909795.html
ミステリーゲームで最も面白いと思う「クロス探偵物語」

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出典:http://www.jp.playstation.com/software/title/ucjs10092.html
息詰まる犯人との交渉がたまらない「銃声とダイヤモンド」

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出典:http://gameline.jp/danganronpa/
個性的なキャラクターたちも魅力の「ダンガンロンパ」

推理アドベンチャーという土台に、アニメっぽいキャラクターや個性的な声優を組み合せることにより「ダンガンロンパ」は推理アドベンチャー好きの顧客以外にアピールすることが出来た結果、推理ゲームをやったことがない層がプレイして「面白いじゃん」となったのかと思います。ということで、以前ブログに書いた、何かの世界で常識になってることを別のどころでアピールするには、井戸から取り出してリパッケージする必要があり、このリパッケージの工夫が大切なのかなーと思います。
個人的には、この写実主義の推理アドベンチャーゲームが大好きなのですが…。

フジテレビの視聴率が、ダダ下がりになったきっかけ

フジテレビの視聴率が、下がりすぎてやばいみたいなニュース記事をよく目にします。確かに視聴率の推移などを見ていると、フジテレビの下がり方がすごいのですが、要因分析の記事を見ると「テレビ番組の作り方や編成方針」についての言及が多いです。

それも大きな要因だと思うのですが、ダダ下がりに突入した「きっかけ」があると思ったんですね。というのが「地デジ化」なのですが、もっと言うと「地デジ化」をきっかけとするチャンネルの再編成にあると思うのです。簡単にいうと「チャンネルの順番が代わった」ことだと思うのです。

「地デジ化」前は、関東近郊ではテレビ朝日は10チャンネルでテレビ東京は12チャンネルでした。ということは順番は下記になるので、フジテレビは5番目になります。

▼「地デジ化」前
1 NHK
3 NHK教育
4 日本テレビ
6 TBS
【8 フジテレビ】
10 テレビ朝日
12 テレビ東京

しかし、地デジ化されて以降は下記のようにテレビ朝日とテレビ東京が繰り上がったため、7番目、つまり最後になってしまったんですね。

▼「地デジ化」後
1 NHK
3 NHK教育
4 日本テレビ
5 テレビ朝日
6 TBS
7 テレビ東京
【8 フジテレビ】

チャンネルの順番が最後になって何が悪いかと言えば、特に見たい番組があるわけではなくテレビのリモコンをつけた際、人は誰しも1チャンネルから順番に回していって、いいなと思った番組があったらそこで止まります。
つまり、フジテレビよりも前に良いなと思う番組があったらそこでチャンネルを回すのを止めてしまうので、この順番が後ろになればなるほど不利という理論が成り立つのです。

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出典:ガベージニュース
主要テレビ局の複数年に渡る視聴率推移をグラフ化してみる(2015年)(最新)
http://www.garbagenews.net/archives/2020115.html

こちらのサイトに掲載されていた各チャンネルごとのグラフ推移を見ると、地デジに移行された2011年(真ん中あたりの濃いオレンジ)を分岐点として、翌2012年(赤色)にがくっと視聴率が減っていることが分かります。しかし、逆にチャンネルが繰り上がったテレビ朝日とテレビ東京は2012年に視聴率を伸ばしているんですね。
ということで、この「チャンネルの順位が入れ替わったことにより、観たい番組が特になくてチャンネルを回してた層を取りこぼした」というのがフジテレビの視聴率下落のきっかけなのかなと思います。

しかし、日本テレビとTBSが横ばい傾向で頑張っているのに比べてフジテレビはそのまま視聴率が下落し続けているので、「チャンネルを指定して観たいと思える番組」を出せていないことが、その後の下落の要因になっていることも間違いないでしょう。

出典、参考
http://www.garbagenews.net/archives/2020115.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の地上デジタルテレビ放送#2011.E5.B9.B4