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マックから姿を消した女子高生は、何処へ行ったのか

前に、マクドナルドの劇的な成功とその後の低迷について分析したことがありました。2000年代、100円マックやえびフィレオによって劇的な成長を遂げたものの、期間限定商品の目新しさがなくなり、顧客の再訪率の要となっていたコーヒーをコンビニ他社に持ってかれたため業績が低くなっていったという内容です。

これは、マクドナルドの売上高や来店者数のグラフをにらめっこしたり、コンビニコーヒーが普及しだした時期などと照らし合わせて、定量データから導きだした結論です。

一方、顧客のインタビューなどは、定性データと言われるのですが、日常生活を送っている中で、ふと「解る」瞬間があるんですよね。
それが、「放課後、マックでポテトをつまんでいた女子高生は、何処へ行ったのか」という疑問に対する答えだったのですが。

これは定量データを引っ張りだしたわけではないので、あくまでも私がそう思う止まりなのですが、特に都市部の学生はスターバックスにシフトしたんだと思うんですね。

平日の3時か4時くらいに、スタバで作業をしていると、やたら制服を着た女子学生が多いんですね。
で、学生の会話が耳もとを行き交うのですが、たいてい女子学生はかなり寒い時期でもフラペチーノを飲んでいました。

新作フラペチーノを飲みながら、味の感想を言い合い、
(これ、一見甘そうだけど、飲んでみたら意外と控えめじゃん。美味しくない?)
その後、どこに行くか、何をするかなどを話し合っているんですね。
(どうするー?まだ時間あるよね?買い物する?帰る?)

そういう光景に囲まれていて、ある時ふと、
あ、マクドナルドにいた女子学生ってスタバにシフトしたんだ。って気づいたんですね。
昔は、女子学生がマクドナルドでコーラとポテトで数時間ねばっていたり、主にファストフードが
放課後のコミュニティの場となっていたのですが、いまやスターバックスになってるんだと思いました。

確かに、椅子もスタバのほうが座り易いし、フラペチーノは飲み物というよりはスイーツです。
放課後にブラブラするんだったら、こっちだよなーと思いました。

定量データでマクドナルドの歴史を追っていたときは、その発想はなかったのですが、
街に出かけていろんなものを見るって大事だなと思った次第です。

強い「言葉」が横行する世界について

言葉そのものだけで、強い言葉というのがあります。

例えば「死ね」とか「殺す」とか、そういうった言葉は、それ単体で強い力を持っています。
この強い力というのは、言葉の意味と響きが持つインパクトという意味と、他人に向けた攻撃力がすごいという意味でもあります。

昔の人は、言霊とはよく言ったものだと思うもので、こういう強い力を持った言葉にぶつかると、
その日いちにち嫌な気持ちになったりしますね。

お笑い芸人、ラーメンズの小林さんが昔、自分たちの演劇の中では極力強い力を持った言葉を
使わない。表現によってどう印象づけるかを考えるみたいなことを言っていました。

強い言葉を多用するというのは、便所の落書きであったり小さい子供がうんこ、などと下の言葉を連呼するのと同義であったりします。

言葉そのものは、強い力を持たないけれど、言葉と言葉を紡いで行くことで背景にある文脈を共有することが芸術というものなのかなと思ったりします。
例えば、こういう文章があったとして

“田所は、向かいに腰をかけた赤い帽子の女性を見た。先ほどから、彼女はしきりに腕時計に目を向けている。
彼女は手を上げてアイスティーを注文する。手元のカップには、半分以上コーヒーが残っているというのに。
赤い帽子の女性は、トイレに立った。背後にある掛け時計に目をやる。もちろん、腕時計よりも時間が進んでいるはずはない。”

この文章の中で、赤い帽子の女性が「焦っている」という表現はないのですが、情景の描写から女性が焦って時間を気にしているのではないかという気がしてきます。
それは、文章を読む際に、言葉と言葉の前後にある文脈を読み取っているからです。文脈を読み取るということは、人によっては解釈が異なる場合があります。ダイレクトに強い言葉を使わないことにより、物語は読み方が幾層にも広がるのです。
(優れた書き手はあらかじめそれを想定して、物語を描くことが出来ます。例えば、宮崎駿の「風立ちぬ」は、悲恋の物語として観ることも出来ますし、大量殺戮兵器としての飛行機を生み出してしまう芸術家の残酷さと読むこともできます。)

つまり、1つの作品があっても、10通りの解釈が可能になったりするわけですが、最近は強い言葉を使った解釈が1つだけの作品が増えている気がします。
例えば、携帯小説に登場しがちなのがレイプ、妊娠、中絶などです。あるいは、残酷でグロい描写です。いずれも事象や単語そのものが強い力を持っていて、書いてある通りの意味しか取れません。

まみこは、たけしが帰ってきたので嬉しくて泣いた。

という風に、解釈が1通りだけの文章で構成されています。コンテンツ量の増大や、細分化などの要因が絡まっているように思いますが、なんだか強い言葉で構成されたコンテンツが増えたなぁと思うこのごろです。