月別アーカイブ: 2014年1月

すわりの良いインターネットの「AゆえにB論法」

amazon

 

ネットで拡散しやすい一段論法


ネット上の言論って座りが良すぎるんですよね。「Aゆえに、Bになる」という一定の文脈に沿ったテキストがけっこう多い。

例えば、

Aネットの登場によって、システム投資が下がりクラウドコンピューティングが実現されるので、
Bノマドの時代になる

A情報処理速度の進化により、ビッグデータが扱えるようになり、
B顧客が行動する前に、顧客のニーズを把握できるようになる

あと、多いのが、「AゆえにBは○○する必要がある」

Aグローバリゼーションが加速しているゆえに
B若者は世界に出て行く必要がある

A書籍の電子化が進んでいるゆえに
B既存書店は、生まれ変わる必要がある

こういう文章を読んでいると文章としてのすわりは良いなと思うのですが「ほんとかよ」と思う部分があります。物事を一段論法でとらえすぎているというか、例えば一番最初のノマドの例は、クラウド環境が整備されたからといって、仕事って誰かからオーダされるか、自分で作り出さない限り存在しないので、ノマドの人は仕事を請け負うプロフェッショナルなのか、どういう仕事をどう請け負うのかという大事な視点が抜けています。

既存書店は差別化を図るべきなのか?


「電子書籍が普及するゆえ、既存書店は生まれ変わる必要がある」という論法では、しばしば「リアル店舗の強みを活かして、顧客へおすすめの本を進めるなど、売り方を変える必要が〜」みたいな指摘を目にします。

でもこれ、現場に行かないで頭の中で考えた文章だと思うんですよね。すでに多くの人は購入したい本が決まっている場合はamazonとかで買ってしまうわけですが、試しに欲しい本を探して書店に行ってみたことがあります。買いたい本は2冊で、ライフネット生命の出口社長が進めていた中国の古典2冊です。まず、大型の書店に行ってみました。

全国に書店チェーンを持つ某店舗、蔵書:50万冊、店舗面積:約1000坪です。まず、この広さだと自力で目的の本を探すことは出来ません。周りを見渡しますが、店員はいません。大型の書店に頻繁に行く人なら分かると思うのですが、最近の書店って店員がレジ付近にしかいないのです。いても、せわしなく本出しをしていたりして、すごく話しかけづらい。なので、わざわざレジに並んで「○○という本を探しているのですが・・・」と店員さんに聞いてみます。すると、その店員さんはパソコンで検索をして在庫があるのを確かめてくれました。

店員さんについて、本が陳列されていると思われる棚まで足を運んだのですが、なんと店員さんも本を探せなくて迷ってしまいます。5分くらい付近をウロウロした結果、自分で発見したので店員さんにお礼を言ってその本を購入しました。

続いて売り上げ業界第二位の某書店チェーンに向かいます。売り場面積は、おそらく最初の店舗と同じくらい。こちらは自分で検索できる機械があるので、その検索機に並びます。自分の番になって気がついたのが、中国の古典だったため、漢字の読み方が特殊すぎて分かりません。パソコンで検索したら適当に入れてもグーグル先生が補間してくれるんですが・・・。そして、目的の本は欠品であることが分かります。ここから取り寄せを行うと、また数日かかるのかと思うと、げんなりして家に帰りました。

家に戻ってamazonで探すと、目的の本は絶版らしく、中古書店でしか買えない模様。若干割高でしたが、amazonマーケットプレイスで出品業者から購入。その後2日で目的の本が届きました。

最初からamazonで買っていれば一発なわけですが、こうやってわざわざ時間をかけて足を運んで見ると色々と得られる教訓があります。そうすると「リアル店舗の強みを活かして〜」みたいな文脈がいかにペラペラか分かるんですよね。

ということで長くなってしまったので、次回は「書店が抱える課題」についてです。

そういえば、文化祭がしたかった

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脱出ゲームは、部活の需要と一緒

どこかに閉じ込められるというシチュエーションで謎を解いて脱出するゲーム、通称「脱出ゲーム」がすごく流行っています。先日インタビューで、「脱出ゲームの達成感は部活と同じ」という発言があって、ああなるほどなあと思いました。

部活って、チームを組んで、得も言われぬ熱さで動けるじゃないですか。合唱コンクールや文化祭も、理屈なく、みんなでひとつのものを作り上げるという根源的な熱で動けましたよね。そういった姿勢で大人たちが取り組める場所が今、無いからだと思います。

学生時代は文化祭という催しで、仲間たちと何かのプロジェクトをやり遂げたり、物を作り上げるという純粋な創作行為を集団で行うきっかけがあったのですね。
しかし、社会人になってみると、金銭的インセンティブが働くので利害関係ばかりになったりします。利害関係なく、純粋に仲間たちと一つのことに取り組むというのは、純粋に楽しいんですよね。

文化祭の最も優れた点

文化祭の最もすばらしいところは、やる気のない人たちを排除出来るという点です。文化祭には金銭的インセンティブがないので、「そんなのかったりーよー」とか言っている人たちには自動的に退出頂いて、やる気のある有志だけで行えば良いのです。

そうすると自動的に意欲の高いメンバーが残るので、素晴らしい取り組みになります。誰も「この作業は、私の業務に含まれますか?」なんて言いません。だって、全員の目指すゴールはプロジェクトの完遂ですから、ゴールするためには、皆がなんだってやるのです。

翻って考えると、会社でプロジェクトを遂行する上で困るのは、やる気のない人たちを排除できない点です。やる気のない人たちが、金銭的インセンティブに動かされて嫌々やっているケースが多々あります。お金が絡むと、やりたくなくても、プロジェクトメンバーから退出してくれません。

持論ですが、だいたい学生の時に文化祭に真面目に取り組まない人は、社会人になっても金銭的インセンティブを最優先にするケースが多いです。なまじっかこのタイプが管理職にいたりすると、何かをやり遂げるというよりは失点(インセンティブが減ること)を恐れる人が多いので、保守的になって新しいことに挑戦しなくなります。仕事の仕方を見てると「多分この人、文化祭に参加しなかったタイプだな」と思うことが多々あります。
このへんは、お金が絡むと楽しさが失われるというソーヤ効果も関係しているのかもしれません。

ということで、最も理想とするプロジェクトの形は文化祭です。やる気のない人はさっさと帰ってね、というスタイルの方が新規事業においては確実に良いモノが出来ると思うのですが。ああ、文化祭やりたいなぁ。

政治をしないで目的を達成するには

転職前回のエントリで、一見クリエイティブな仕事をしている人も政治をしてるよねという話題を書いたのですが、それでも政治なんて出来るだけしたくないわけです。

じゃあ、政治をしたくない、もしくは出来ない人はどういう組織で、どういうコミュニケーションをしていったら良いのか。これには二通りあると思います。(主体的にやりたいことがある人の場合という前提です。)

自分の城を築く

前回のエントリに登場した「押井守監督の「勝つために見る映画」という連載に、押井監督がジョージ・ルーカスに会いたいと言われて訪ねていくエピソードがあります。

ルーカスさんはどこにいるんですか。
押井:ルーカスは、その広大なスタジオの中の秘密の小部屋に稀に滞在してるんだそうです。屋根裏部屋みたいな場所。そこに行く道筋は外からはまったく分からない。忍者屋敷みたいに壁の一部が突然ゴーンと開いて、そこにエレベーターのトビラが出現して、そこからしか入れないんです。

それを知っているということは、ルーカスに会ったんですね。

押井:以前、僕がスカイウォーカーランチで「イノセンス」という映画のダビングをしてたときに「ルーカスがあなたに会ってもいいと言ってる。ただしあなた以外来ちゃダメ」って言われて会いに行ったんです。その秘密の扉を開けて、彼の直属スタッフ、親衛隊が仕事をしている部屋の横を抜けて、もう「謁見」って感じなんですよ。

実際会話をしてみても、あまり話が弾まなかったようでルーカスさんはあまりコミュニケーションがうまくない。つまり、コミュニケーションが上手く取れず、政治的な動きが取れない人はこのように自分の城を築いちゃうというのも一つのコミュニケーション術なのだと思います。これは押井監督の著書コミュニケーションは、要らない (幻冬舎新書)でもそう言及されています。

でも、お気づきの通り大変な天才でなければそんなことは出来ません。日本でいうと自分のスタジオを作ってしまった宮崎駿などごく一部の天才しか出来ないのです。じゃあ、常人はどうすれば良いのでしょうか。

仲間たちと、小額のコストでプロジェクトを立ち上げる

今まで挙げたケース、押井監督、ジョージ・ルーカス、宮崎駿のプロジェクトには、全て共通点があります。全て予算が巨額なのです。大きなお金が動くということは、それだけ政治が絡むことが必須になり、押井監督は他人のお金で作品を作っている以上政治をしているわけで、ルーカスさんと宮崎駿監督は、政治をしなくて良いように自分の城を作ったのです。

つまり、政治をしなくて良い組織に属するには、巨額のお金が動かないところに身をおくのが一つの手です。特にホリエモンもよく言っていることですがサーバー費用などITにおけるコストが劇的に下がっているので、仲間を集めればあとは数万円の費用でサービスを作れたりします。

仲間。。そう、仲間を作る作業をしなければならないわけです。これが一番大変だし、この時点で成否が9割以上決まっているのです。極論を言えば一人でやっても良いのですが、一人のスキルでカバーできる領域は限られています。仲間を作るためにはどうしたら良いか、先日書店で見つけた君に友だちはいらない という本がとても参考になります。
エンジェル投資家の著者の主張にはかなり頷けます。特に共感したのが、FacebookとTwitter上の知り合いなんて役に立たないということです。

真の仲間とは、一緒に何らかの状況をくぐり抜けてその人の本質が分かっている人物です。私も常日頃思うのですが、人の本性は仕事をして初めて分かると思います。普通につきあっている分には良い人なのに、仕事になると全くちゃんとやってくれない人っていますよね。人の本性というものは、FacebookやTwitter上だけでは分からないのです。

同じ職場や学校で何らかのプロジェクトを体験した仲間がベストですが、社会に出てから仲間を探すのであれば、一緒に何らか小さな仕事をしてみて、その人の本質を見る必要があります。

ということで、組織上の政治が嫌な人は自分が一緒にやりたいと思う仲間を手をかけて探さなければならないのですよね。
このエントリに登場した書籍は非常に参考になるのでぜひ。



クリエイティブな人も、政治している

転職

押井守監督の勝敗論

前回のエントリは、組織内で最も実用性のある能力とは、政治力を身につけるなんじゃという話題でした。でも「政治なんかやりたくないやい!」という人もたくさんいると思うんですよね。なにを隠そう私もそうです。

しかし、企業の中にいる限りは政治というのは避けて通れない問題です。一見めちゃくちゃクリエイティブなことをしている人だって政治をしています。「攻殻機動隊」シリーズ等で有名な押井守監督も「押井守監督の「勝つために見る映画」という連載を昨年までしており、古今東西の映画を紹介しながら、組織論や勝敗論を解説しています。
この連載から引用した以下コメントを見ても、押井監督って組織のことがよく分かってるんだなぁと思います。

押井:そう考えると、今の日本の企業なんて、みんな中間管理職が支えてるんだよ。上にはコロコロ変わる経営陣がいて、下には使えないダメな社員たちの大群がいて、誰がこの会社を守るんだって(笑)。部長とか課長が頑張ってるんだよ。出版社で言ったら編集長は基本的にはお飾りで、実際には副編が踏ん張ってるんじゃないかな。編集長は責任を取るためにいるだけで。

ゴールにたどりつけば、騙したことにならない

巨額のお金を動かして映画を作るには、たくさんの政治が必要なのですね。出資元やプロデューサーやらいろんな人たちが口を出してくる。その中でいかに人を動かして作品を守るか。更に以下のコメントからも、押井監督の政治的手腕が伝わってきます。人は正論では動かない。だから、あえて聞かれてないことは答えない、ある意味で、まわりを騙すことが必要だと言います。

僕らで言うならひとつの映画、会社で言うならひとつのプロジェクトを請け負って、部下を動かさなきゃいけない。だいたい部下というのはどうしようもない連中ばっかりで、文句言うだけの奴とか不満分子とか自分だけ楽しようとする奴とかそういうのばっかりなんだけど、でもそいつらがいないと仕事ができない。どんな戦争も兵隊なしでは戦えないんです。

「どうやってこいつを動かそうか」って言うときには、希望を与えなきゃダメなんです。何かを保証してあげなきゃいけない。でもその希望には何の根拠もない、そのときあなたはどうする? っていうさ。

相手に正論を振りかざすよりも、政治的手腕を駆使してゴール地点にたどり着く。ゴール地点にたどり着ければ、嘘は嘘ではなくなり、騙していないことになる。

逆に言えば、正直にお答えして玉砕することが目的じゃないんですよ。言わなくていいことまで言って轟沈したいのか。敢えて黙っているのはその時点では詐欺みたいなもんだけど、映画が完成してみたら、時間が経ってみたら騙してなかった、というふうに努力するべきなんです。

そして、それをこそ「勝負」と言うんです。真っ向から激突してノックアウトされるのは、勝負とは言わない。日本人はそういうの好きだけど。「負けるとわかってる勝負でも、男は立たねばならぬ」とか言ってるからダメなんだって!

勝つためには宮本武蔵みたいに大遅刻して心理戦をやってもいいし、全員を騙してもいい。監督は自分のスタッフとも戦うし、何よりも「自分の雇い主とも戦う」んだよ。

ということで、押井監督はクリエイティブでありながら同時に組織の指揮官なのだと思うんですね。このように一見クリエイティブに見える仕事も実際は組織論や勝敗論が重要になってくるのです。次回のエントリでは、それでも、そういった組織から離れて個人で好きなようにやることは可能なのかを考えてみたいと思います。

「効率的に会議を進める○の法則」以上に大事なこと

騒音実際に使ったことある?

よくツイッターとかでこういう「○の法則」的な記事が回ってきます。そういう記事にいいね!したり、「良記事。納得した」とかツイートしているあなた、心に問いかけてみてください。それを、実践したことありますか?多分したことのない人の方が、大多数なのです。なぜか。

「効率的に会議を進める○の法則」が有効に働くのは、会議のファシリテーター(司会者)だからです。会議の効率的な進め方は、語り尽くされているので、こういう記事を読んでいる人であれば、会議そのものよりも事前の準備が大事であることは分かると思います。でも、実際に事前に資料を配布して皆に見てもらい、会議自体を意思決定の場に変えるのはファシリテーター(司会者)じゃないと出来ないのです。

「プロジェクトを円滑に進める○の方法」というのも同じことで、プロジェクトリーダーが読まないと意味がないのです。そもそも動かしたり進めたりする権限がないのですから。

最も大事なのは、泥臭い政治力

というわけで最近思うのが、物事をちゃんと進めたり、効率的に進行させるハウツーよりも、大事なやつがあるんですね、たぶん。
それが政治力というやつです。
むしろハウツーがあったとしても、政治力がないとなんともならない。ガソリンの入ってないエンジン、電池のキレたロボットと同じなのです。実行出来ないのですから。

なので、「権限を持ってない現場の人間が、いかに上の機嫌を損なうことなく進言するか」とか「ダラダラ会議をやりたがる責任者をうまい具合に丸める」とか、いかにも泥臭い政治を身につけないといけないわけです。

もう、書いてるだけでめんどくさいなぁと思ってしまうのですが。

しかし、人が集まる以上は、政治は必ず起きるものです。最近ライフネット生命の出口社長の組織論をネットなどで拝見し、感銘を受けていたのですが、出口さんは生粋の読書家として知られており、特に古典を読むことを奨められております。中国の古典で、泥臭い上司との関係を描いた「宋名臣言行録」という古典があると紹介されていたので読んでみたのですが、これが実に生々しい。

ということで、なんとかハックとかそういうハウツーを学ぶ前に、中国の古典で人間関係の泥臭さを学ぶのが先なんじゃと思うのでした。

ちなみに、組織論の究極的な目的は、現場の人間にこういうめんどくさい政治をさせないことな気がします。
Think Simple

グロースハックは、データよりも顧客目線の仮説

成果主義

顧客目線で考えた仮説は、たいてい当たっている

グロースハックっていう言葉を最近よく耳にしますね。サービスのKPI(重要視する指標)を立てて、指標をのばすための仮説を実行してサービスの規模を拡大させていく役割です。

グロースハックってデータ解析が大事とかビックデータとか云々云々なんですけど、重要KPIって普通に考えれば予測できるんですよね。

例えばFacebookのグロースハッカーだった方が、FacebookのKPIを「登録から10日以内に7人以上の友人と繋がる率」であると定めて、とにかく登録後は友達と繋がらせよう、繋がらせようとしたのです。(その指標を重視して、新規の開発を2年間止めたのだとか。)

これって、データを解析しなくても、なんとなくFacebookの使用シチュエーションを考えると予想出来ますよね。

自分がFacebookに登録する→友達がいない→フィードに何も表示されない→つまんない→放置

これを改善するために、以下【】囲み部分機能をとにかく入れたわけです。

自分がFacebookに登録する→【これあなたの友達かもよ!】→【友達を誘おうよ!】→フィードに友達になった人の情報が流れてくる→なんとなくいいね!する→フィードを見るのが習慣になる→毎日開く

ということで、KPIってデータをにらめっこしたりしなくても、特にサービス初期は、顧客目線であるていどアタリをつけて普通に考えたらいいと思うのです。(もちろんデータでの裏付けをした方が良いですが)

データなんてものは、いかようの解釈でも出来る

ちなみに、このデータの使い方というのが妙で「分かってない人を説得する用」に使われたりもします。昔とあるECサイトで「売れないんだけど、どうしたら・・・」と相談されたことがあって、データ解析云々の前にとりあえずサイトを見てみました。

答えは簡単でした。商品数が少なすぎるのです。しかも、一点ものとかじゃなくて、ある程度コモディティしている商品なのに選択肢が少なすぎてそもそも見る気がしません。自分で気づけるでしょうと思うのですが、意外とクリティカルな阻害要因が根本的であればあるほど、認めたくないようです。

データを解析する前に「そもそも商品が少なすぎるんだと思いますよ」と言ってみたのですが、納得してくれなかったので、商品ページ到達率とか離脱率とか定性調査を行ってデータをとるとか、数字を引っ張りだして説明することになりました。

しかし、経験論ですが、ここまで数値データ出してもだいたいは納得してくれないです。そもそも、数値データを見て納得してくれるようだったら、最初に自分でクリティカルな阻害要因に気づけるものです。

データなんていかようにも解釈が出来ちゃうので、データからいかに仮説を立てるか。そして、その仮説を重要度順に並べて素早くつぶしていくことが大事なのです。

ダメなプロジェクトというのは、仮説を立てることに時間を使ってしまって、この仮説が正しい、この仮説が正しくないとか議論をしているうちに時間が経って、仮説をつぶせないまま終わるパターンが多いですね。

ということで、だいたいは最初に顧客目線で考えた仮説って真実と二アリーなことが多いと思います。

社長目線で働こう

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社長目線とは、全体最適化をすること

少し前に「社長になった気持ちで仕事に当たろう」という提言に大して「なぜイチ従業員が、給料も見合っていないのに社長になった気持ちで死ぬほど働かなければならないのか」という指摘が行われてました。

これは、社長目線で働くということの意味の取り方が、ちょっと本質的じゃない気がします。

社長目線で働くとは「部分最適化をするな、全体最適化をしろ」ということだと思うのです。例えばとあるアパレルメーカーがあったとして、営業部門はじゃんじゃん営業をかけて自社の製品を売り込みます。しかし、製造部門からなかなか潤沢に製品が納入されません。営業部門の責任者が製造部門の責任者に掛け合うと「じゃんじゃん作って在庫が積まれたら製造部門の責任になりますから」の一言。営業部門の責任者は「こっちが営業かけて売ってきてるのに、何を言ってるんだ!」とやり返して喧嘩になります。

そして、どこまでいっても平行線をたどります。これが部分最適化をしている組織の例です。営業部門は、とにかく商品を売ってくることがチームのミッションなので、鬼のように営業をしまくります。在庫なんて気にしません。製造部門は在庫をコントロールしながら返品率を下げることがチームのミッションなので、なるべく品質が高く、在庫が出ないように調整をします。どれだけ営業が売ってくるかなんて気にしません。

と、このように部分最適化(自分の所属チームのことしか見えてない)と、全体最適化(会社にとっての幸せ)が出来ないのです。

部分最適化を押し上げた成果型人事評価

それでは自分が社長だったらどうしますかね。営業をかけてお客さんが買ってくれると言っているのであれば、自社の利益に繋がるので売りたいですよね。しかし、製造部門が返品や在庫のことを気にする気持ちもわかりますね。しかし、物事はトレードオフなので、

「とりあえず製造ラインを増やして、納品を急ごう。返品率が○パーセントを超えたら考える」

とか

「製造ラインはこのままで品質を保とう。営業部門からお客さんに説明して、うちが品質重視であることをわかってもらおう」

とか

全体最適を考えた上で、いずれかのバランスに寄った結論を出すことになります。これが社長目線で働くという言葉の本質だと思います。

ただ、欧米型の成果型人事評価制度が導入されてしまったことで、ほとんどの人が部分最適化しか考えなくなってしまいました。

例えば営業部門だったら人事評価シートに受注○件獲得って書いてあるでしょうし、製造部門だったら返品率○パーセント以下って書いてあります。これを守れなかったら給料が上がらない(もしくは減る)というインセンティブが働いてしまうので、よほど昇進や評価に興味ない限り自分のチームのことしか考えられなくなってしまうのです。

ということで、欧米型評価制度を部分的に導入した故に全体最適化(=社長目線で働こう)が更に機能しなくなっているように思います。でも、見る人が見れば、きっと社長目線を持っている人かどうかはわかるはず。ということで、明日からも頑張って社長目線で働きましょう。

ニュースメディアのイノベーション

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スマートフォン市場における最後のメインディッシュか

2007年に初代iPhoneが発売されて6年が経ちました。この間、スマートフォンというデバイスの普及に伴い、様々なコンテンツやソリューションが発表され、あれよあれよという間に3億人が使うソリューションも生まれました。

だいたいのコンテンツやソリューションは出尽くしている感はあるのですが、最後のイノベーションの余地があるのではないかと注目されているのがニュースメディアです。堀江さんが、「細切れの時間を奪うには)長くて400文字くらいが妥当」と発言した通り、スマートフォンのコンテンツは、ツイッターしかり細分化の方向へと進んでいます。(あんまりその流れ好きじゃないんですが

ということでLINEが内容を要約したLINEニュースを配信していたり、ライブドアニュースもニューステキストに要約文をつけたりしています。

要約をつける流れはむしろ海外が先で、前にもエントリに書きましたが、アメリカの高校生が自動要約ソリューションを開発してそれを米Yahoo!が巨額を投じて買収したりもしていました。

さらに、配信最適化を行うグノシーほかのサービスもダウンロード数をのばしています。ニュースメディアの流れが、要約、配信最適化であることは間違いないようです。

本当にそれでいいのか?

この流れが加速すると、間違いなく情報のタコツボ化と、ニュースの単純化が起こります。自分の興味のあるジャンルのニュースのみを、単純化されたテキストで受け取るのです。

本当にそれで良いのですかね?

というのが、ここ最近頭の中にもたげる疑問です。要約、配信最適化に比べてとても弱い潮流ですが、複雑な(しかし、重要な)ニュースをシンプルにして配信するというニュースメディアの流れもあります。

例えばテレビや新聞では、シリアが科学破壊兵器を使用した可能性がある。というニュースを報じますが、なぜシリアが科学破壊兵器を使用するに至ったのかという理由は改めて説明されません。それを知るには1年以上前のニュースソースに自分でアクセスして経緯をひもとく必要がありますが、けっこう大変な作業です。

世の中にとって一大事なニュースの経緯や背景を、できるだけシンプルに説明する。そういうニュースメディアが出始めています。(つまり、池上彰さんのネット版ですね。)元Yahoo!トピの編集長だった奥村倫弘さんが立ち上げたとうメディア「THE PAGE」もその一つです。

http://thepage.jp 

あと、個人的には雑誌のクーリエ・ジャポンはチェックしておきたいところ(最近読めていない・・・)。ブログも肉厚なエントリがたくさんです。

クーリエ・ジャポンの現場から(編集部ブログ)
http://courrier.jp/blog/

さらに、個人が中心となった同様のテーマのメディアもちらほら出始めています。

「日本と愉快な仲間たち」
http://japanandworld.net

一歩深く読むニュース解説メディア「THE NEW CLASSIC
http://newclassic.jp 

外の反応を報道するニュースサイト「NewSphere(ニュースフィア)」
http://newsphere.jp

大手のITやメディア系企業がなぜこういうメディアを運用しないかといえば、こういうメディアは手間がかかる割に儲からないからです。先ほどの要約や配信最適化をするソリューションは、一度ソリューションを作って軌道に乗ればユーザーは指数関数的に一気に増えます。コンテンツは自ら作らず、プラットフォームとして配信者と受け取り側の中間に入るため、コンテンツはいくらでもあるからです。

しかし、「THE PAGE」のようなメディアは、原稿の本数とPVが比例して成長するので、成長に時間と手間がかかります。(このへんがPV至上の現在の広告モデルが限界と言われる所以ですね)

ということで、手間と時間がかかる割には、一気に市場の覇者になれる可能性が薄いビジネスなので、ニュースメディアに信念を持っていないと運営しづらいのです。

それでも、私はこういったメディアに期待したいと思います。過去にNAVERまとめで時事ネタを何本かまとめたことがあるのですが、PVは全く低いものでした。しかし、見てくれている人たちの熱量は高いと思うのですよね。

コーヒーというやつ

たどころ象徴としてのコーヒー

コーヒーというやつは、まったくすごいやつだと思うのです。
コーヒーは、ただの嗜好品飲料という枠を超えて、あらゆる目的の象徴として機能しています。たとえば休息という目的の象徴です。コーヒーチェーンとして世界的に成功をおさめたスターバックスのコンセプトは、店舗を第3の場所として提供する、つまり家と職場の中間で休息をとる場所を提供しています。ある意味コーヒーが、休息の象徴として存在しているのです。

もはやコーヒーを提供するカフェは、コーヒーを飲むという機能ではなく、

・タバコを吸うための喫煙スペースとして機能したり
・友だちと会話をするための語らいの場として機能したり
・ビジネスの会話をするための打ち合わせスペースとして機能したり
・勉強をするための机として機能したり

あらゆる目的の象徴として機能してるのですよね、コーヒー。

コーヒー戦争

コーヒーというやつのスゴさにいち早く気づいていたマクドナルドは、マックカフェなる構想を打ち出してコーヒーメニューを充実させました。無料券や値引き券を配布して、とにかくコーヒーをフックに来店してもらい高単価のセットメニューを頼んでもらおうという作戦です。
これが功を奏していたのですが、コンビニチェーンも同じように目をつけ、店頭で一杯だてのコーヒーが飲めるマシーンを次々導入、マクドナルドとガチでコーヒー戦争を繰り広げています。(その後、マクドナルドがコーヒーを打ち出さなくなった様子を見ると、コンビニチェーン側に軍配があがっているのでしょうか)

さらに、コーヒーチェーンもドトールやスターバックス等のチェーンが店舗数を確実に増やしています。こちらはタバコ休憩をとりたいサラリーマンと、第3の場所で休息をとりたい人々という形で顧客のニーズがかさならないので、競合にはなっていないような気がします。

このように、どんどん象徴としての存在感を増すコーヒー。
今後のコーヒーをとりまく周辺状況がどうなるのか興味深いですね。