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水曜どうでしょうがユーチューバーのはしりである件

好きな人はとことん好きな、水曜どうでしょう


水曜どうでしょうと言えば、大泉洋を輩出した北海道初のバラエティ番組として有名です。水曜どうでしょう祭りを北海道でやると宿が埋まって取れなくなるとか、DVDの売上がすごいとか数々の伝説を残しています。

水曜どうでしょうを見ていると、今流行りのユーチューバーの原始のように見えます。水曜どうでしょうを好きな人はとことん好きだけど、興味のない人は本当に興味がありません。好きでも嫌いでもないという中間層が薄いのです。同じく、ユーチューバーが作るコンテンツも、熱狂的な人は頻繁に見るけれど、興味がない人は存在自体しらないという2極化したコンテンツです。
例えば水溜りボンドと言われても、このブログを見ている人はほとんど知らないと思いますが、若年層には圧倒的な知名度を誇るユーチューバーです。
水曜どうでしょうもユーチューバーが手掛けるコンテンツも、興味のあるなしが圧倒的に二極化しているのです。

主軸となるのはコンテンツか人か


この両者の根本的な共通点が「人が主軸になっているコンテンツ」であるということです。水曜どうでしょうファンの会話を聞いたことはないでしょうか?水曜どうでしょうファンの会話はだいたいが「ようちゃん(大泉洋)が〇〇した」とか「ミスター(大泉洋の事務所の元社長)が〇〇した」とか「ふじやん(プロデューサー)が〇〇した」など、番組出演者が主語になっており、それに付属して〇〇したという動詞をつなげて話します。主軸になっているのは、人なのです。
同様にユーチューバーも人が主軸であるコンテンツです。(個人が動画を配信しているのですから、その成り立ちからいって、自然にそうなりますね。)
ヒカキンが虫捕りに行った。ヒカキンがゲームをプレイした。など、ユーチューバー自身が主軸であり、何をするかというコンテンツそのものはあくまで副次要素なんですね。

これを地上波の番組に当てはまると、アイドル番組も同じ構造になります。乃木坂46が出演するバラエティ番組「乃木坂工事中」において主軸となるのはアイドル本人たちであり、乃木坂46に何をさせるかというコンテンツはあくまで副次要素なのです。
逆に、多くの地上波の番組は、何をするかというコンテンツが主軸であり、人が副次要素になります。クイズ番組において、クイズというコンテンツの箱が先にあり、そこに回答者(誰)をはめるかという順番です。

人が主軸の場合のコンテンツの特徴


人が主軸の場合、コンテンツの寿命は長くなります。なぜならば、人が主軸のコンテンツが終わる時は、その人自身の人気が落ちた時だからです。逆に、コンテンツが主軸の場合は、その入れ物の賞味期限が来たらコンテンツは終わります。その昔マジカル頭脳パワーという番組があり、マジカルバナナなどライトなクイズで人気を博しましたが、ライトなクイズというコンテンツのブームが終わるとともに番組が終了しました。
逆に20年以上も続いていた「SMAP×SMAP」は、SMAPが解散さえしなければ、これ以降も続いていたでしょう。以前妖怪ウォッチの誕生秘話のインタビューを読んだ時、ストーリーがあるといつか物語は終わる。しかし、サザエさんのような日常のバタバタは永続性があり、それを目指してる的な記述がありました。
サザエさんもまた、磯野家という人が主軸であるコンテンツです。「水曜どうでしょう」も1996年から今にいたるまで継続して人気を博しており、人が主軸の場合はコンテンツの寿命が長くなるのです。

アイドル番組になくて、水曜どうでしょう(またはYOUTUBE)にあるもの


地上波でいえばアイドル番組は構造として水曜どうでしょうやYOUTUBEに似ているのですが、前者にはなくて後者にはあるものがあります。それは偶発性によるハプニングというのりしろです。

水曜どうでしょうには段取りはありますが、台本がありません。日本各地をめぐってクイズに答えるという企画でも、実際にクイズに正解するかどうかを台本に織り込んでいないので、先が読めません。1日の日程も決めていないので、目標より大幅に進捗が遅れることもあります。ゆえに、偶発性が多いのでハプニングが起こりやすく、いったんハプニングが起こるとハプニングそれ自体が強力なコンテンツになりやすいのです。そういったシチュエーションは印象に残りやすいので、口コミしたくなります。

ゆえに、水曜どうでしょうファンはハプニングによって生じた名場面を語り合うのです。例えば、西表島編では虫を追う虫追い祭りという企画だったはずが、たまたま参加したガイドのロビンソンさんが面白かったことと、彼に虫追い祭りを否定されたことから、急にうなぎを採りに行ったり、エビを釣ったりと当初と全く違う企画に変更しています。(後にロビンソンフィギュアも発売されたそうな。)

マレーシアのジャングルで動物を観測するための小屋に宿泊していた時は、トラの眼が光った!と大騒ぎになり(実際はシカだった)、その時ミスターが作ったバリケードがふにゃふにゃのマットレスで、バリケードとしての役割を果たしてなかったことも「ふにゃふにゃマットレス事件」としてファンの間で語り継がれています。

同じように、YOUTUBEにも偶発性というのりしろが存在するコンテンツです。偶発性によるハプニングというのりしろは、口コミを生みやすいので、ファン同士の結束をさらに固くさせるとともに、新たなファンを獲得するツールになります。

今の地上波において、一番欠けているのがこの偶発性によるハプニングだと思いますが、2番組だけ上記の条件を同じく兼ね備えた番組を発見しました。

「もやもやさまぁーず2」と「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」です。前者はさまぁーずという人が主軸であり、台本がほぼないので偶発性による小さなハプニングだらけです。後者は蛭子能収のクズっぷりをなんとかしようとする太川陽介が主軸であり、同じく台本がないので毎回クリア出来るかドキドキハラハラです。(現在は終了。)
ちなみに「水曜どうでしょう」も含めた3番組に共通点するポイントは、人気番組であるとともにDVDが割と人気ということです。つまり、ファンの熱狂度が高いので、DVDを所有して繰り返し観たいコンテンツであるということですね。

レッドオーシャンを避けて、存在しない市場に行ってしまう失敗

成長市場にて、競合のカウンターポジションを取るべき

新規事業を始める際に最もやりがちな過ちは、市場が小さすぎるところに参入してしまうことだと思います。市場調査などを行っていると、成長市場は成長が見込まれるので競合が多いいなあということになり、競合がいない市場に行ってみたものの、市場が小さすぎてビジネスが成り立たなかったりします。

競合が多いと思われる成長市場において、その市場を避けるよりは、むしろ成長している競合のカウンターポジションを取って違うタイプの顧客を取り込んだ方が良いのです。
競合の製品がエンタープライズ向けの高価格帯商材であれば、顧客のターゲットを中小にずらして機能を中小企業向けに絞った低価格帯の商材を出すなどです。

しかし、競合が多くいる(ように見える)市場に入るのが怖いため、独自路線を走った結果「市場が存在していない」ところに参入してしまうケースが多いです。
「市場が存在していない」には2種類あって「今は市場は存在していないが、これから拡大する(これがピーターティールいうところの賛成する人が少ない真実ですね)」か、「今は市場が存在しておらず、これからも市場が存在していない」であり、圧倒的に後者の方が多いわけです。
例えば林檎を売るビジネスは昔からあるビジネスです。ここで競合にカウンターポジションを取って、顧客セグメントをずらして売るのであれば「高富裕層向けの高価格林檎」や「外食産業向けのカット済林檎」などが考えられます。特定の顧客セグメントに圧倒的に売れる商品を作るのです。

しかし「林檎は寡占市場だから、南米原産のホニャララフルーツを売ろう」となったらどうでしょうか。現状ホニャララフルーツの市場は存在していないため、その市場の開拓から始まる=つまり、顧客に対してホニャララフルーツを啓蒙しなければならないというスタートになるのです。
この時点で、すでに存在している市場よりも多くの営業人員や啓蒙のためのプロモーションコストがかかることが想定されます。

ということで、競合が多いからと成長市場を割けるあまり、変に差別化すると顧客が存在していない市場に入りがちになります。

ゴールドラッシュで最も儲けたのは誰だったか

市場が成長しきって寡占市場になっても、その市場が大きければ、その周辺事業にて儲けることが出来ます。

その昔、金を夢見た採掘者が集まったゴールドラッシュにて、一番儲けたのは「採掘者にシャベルを売った人だった」といいます。市場が成長しきった寡占市場においても、市場自体が大きければその周辺の事業の役割は大きくなります。
例えば、ソーシャルゲーム市場は市場が大きくかつすでに成熟期に入った市場だと思いますが、ソーシャルゲームの情報サイトが大きく伸びていたり、売上が下がって来たゲームタイトルを引き取って運用を行う会社なども業績を伸ばしています。

ちなみに今現在、業務系アプリケーションの市場が大きく伸びてきていますが、このITトレンドというサイトは業務系アプリケーションの一括資料請求が出来る情報サイトです。IR情報によると姉妹サイトであるBIZトレンドと合わせて直近1年の売上は9億5千万円以上あり、年平均成長率は5割近くだといいます(訪問者数は年間500万人。下手な業務系アプリケーションより儲かってますね)。

ITトレンドのビジネスモデルはアフィリエイト式であり、掲載社へ1件資料請求があるごとに成果費用が発生する形になっています。まさに業務系アプリケーションという名の金脈に集う人たちに、プロモーションという名のスコップを提供しています。

ということで、新規事業を考える際はビジョナリーなことを考えない限りは市場の大きさありきでカウンターを取るのか、周辺領域にいくのかを考えた方がいいなということでした。

1,000店超えてるって知ってた?バスキンロビンス(サーティーワン)のすごさについて

外食チェーンの山といえる1,000店舗の出店を2010年に達成

アイスクリームチェーンとして日本を牛耳っているのはバスキンロビンス(サーティーワン)一択でしょう。ちなみに日本ではサーティーワンの名前で通っていますが、世界的にはバスキンロビンスなので、サーティーワンで通じるのは日本と台湾のみとのこと。
最近は看板をbaskin BR robbins サーティワン アイスクリームとするところが増えてきていますね。

さて、バスキンロビンスの何がすごいのかといえば、1974年に日本における1店舗目をオープンして以降着々と店舗数を増やし、2010年には1,000店舗を超えて2016年度の年度末時点での店舗数は1,179店となっています。
外食チェーンにおいて1,000店舗を超えるというのはひとつの山場です。ライバルであったアイスクリームチェーンはのきなみ撤退もしくは縮小しており、アイスクリームブランドとしては盤石なハーゲンダッツも2013年に最後の店舗が閉鎖し、一時期はあんなに流行っていたコールドストーンアイスクリームは思ったように出店が進まず2014年に「築地銀だこ」を展開するホットランドに買収されています。2014年には31店舗を展開していたようですが、2017年現在公式サイトを見ると店舗は20店舗まで減っているようです。

これらを含めて考えると、サーティーワンの1,000店舗突破がいかに盤石が分かります。どこがすごいのかを具体的に見ていきましょう。

アイスクリーム店の割に高い顧客単価!意外と普通のアイス以外も売れていた!

2016年度のバスキンロビンスの決算資料を見ると売上高197億6百万円ですが、平均顧客単価が728円なのです。えっ?サーティーワンで食べるアイスってそんなに高いっけ?って思いませんか?スモールダブルで本体価格400円前後ですから、そんなに大量にアイスを食べる人がいるのだろうか?と思うのですが、その理由は売上内訳にあります。アイスクリーム部門の売上内訳が116億9千万と売り上げの約6割を占めているのですが、スペシャリティデザートが22億4千万で売り上げの11%を占めているのです。
スペシャリティデザートというのは、おそらくメニューにおけるアイスクリームケーキやサンデー、クレープといった高価格帯のメニューを指すと思われます。
アイスクリームピザは2,000円代半ば~、ケーキ類は3,000円代からあるようなので、このあたりの高価格帯の商品売上が平均単価を持ち上げてくれていると見て良いでしょう。

”誰かを誘って行きたくなる”キャンペーンの仕掛けがすごい!

サーティーワンといえば、31日にはサーティーワンの日として31%引きになるなどの割引キャンペーンを定常的に実施しています。その中でも集客のキャンペーンとして秀逸なのは「チャレンジ・ザ・トリプル」や「真夏の雪だるまキャンペーン」などの来店キャンペーンです。

「チャレンジ・ザ・トリプル」は、ダブルを買えばもう一つアイスがおまけになり、結果としてトリプルのアイスが食べられるキャンペーン。真夏の雪だるまキャンペーンは、レギュラーのアイスを買うとスモールをひとつおまけでつけてくれるというキャンペーンです。
このキャンペーンが秀逸なところは、まずインスタ映えするということです。カラフルなアイスのトリプルや、雪だるま状のアイスクリームってインスタに投稿したくなりますよね?このキャンペーン自体は昔から行われているものなのですが、SNS台頭の時代になってインスタなどのソーシャルとかなり相性が良いキャンペーンになっているわけです。

かつ、さらにこれらのキャンペーンが優秀なのは誰かを誘って行きたくなるということです。この2つのキャンペーンとも、学校帰りに友達を誘って行ってみたい、ひとつのイベントのような位置づけになっているのです。
(このキャンペーンの投稿をしている人は、実際二人で来ている人が多いのです。

【チャレンジ・ザ・トリプル】挑戦する人々の意外な事実
https://matome.naver.jp/odai/2134198867007855901

コアターゲットの女子中高生はリピート率が高い

ちなみに、コアターゲットは女子中高生に設定しているようです。(2番目は郊外ショッピングセンターなどにおけるファミリー層)
私は女子学生をターゲットにしている飲食チェーンの強みは、リピート率が高いことにあると思っています。(放課後、帰りにどこに寄り道するかという選択肢のひとつになっているということです。)
ちなみに、その前提の中で来店頻度を上げるには、たえまなく新フレーバーを投入することであり(新しいのが出たから、食べてみようかとなる)これはもちろんバスキンロビンスも実施しており、スタバもフラペチーノの新フレーバーを投入し続けています。

スタバは女子中高生が放課後に寄るスポットのひとつですが、バスキンロビンスも同様に、その選択肢に食い込んでいるのではないでしょうか。決算資料にもこのように書いてあります。

情報発信力の強い女子中高生をターゲットに
キャンペーン告知重視のTVCMを中心に
31cLub、Facebook、LINEなどのSNSを継続・強化

ということで、アイスクリームチェーンとして盤石なバスキンロビンスについて解説してみました。

出典:https://www.31ice.co.jp/contents/ir/pdf/ir201612.pdf
https://www.nikkei.com/article/DGKDASDD240OD_U4A120C1TJ0000/

平安時代の人がTwitterを受け入れても、インスタグラムを受け入れない理由

日本人は言葉遊びが好きな民族というのは、みなが賛成する事実だと思います。古くは和歌、俳句など一定のルールに従って言葉をつむいでいくという、諸外国にはない言葉遊びを生み出しています。
そしてその言葉遊びがすきなカルチャーは、2017年現在においても世界中で最もTwitterが好きな国民という事実によって裏付けられています。いうなれば、ツイッターも140文字という決められたルールの中で言葉をつむぐ言葉遊びなのです。

加えて、日本人は文脈力に長けた民族でもあります。これは言葉と言葉のあいだに秘められた意味を読んだり、その空気に乗っかるのが上手いということです。
例えば、平安時代に流行っていた(?)という和歌も、男女が和歌を交わす中で「あなたのことが好きです」っていうことを言いたいがために、ものすごい遠回しな表現を使うのです。

例えばこれは藤原のなんとかさんが書いた恋の和歌ですが

明けぬれば 暮るるものとは 知りながら
  なほうらめしき 朝ぼらけかな
  
訳:夜が明ければ、やがて日が暮れてあなたに会うことが出来ると分かっているけど、
  あなたと別れなければならない明け方がくるのがやはり恨めしく思えます。
  
朝がうらめしい→あなたとずっと一緒にいたい という文脈があるわけです。
近代になっても夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという伝説などもあり、日本人は文脈好きな民族だと思います。文脈を読み取り空気を読むうまさは、さきほどのTwitterにも表れていますが2ちゃんねるにおける空気読みの技術はすごいものがあります。

前に「深夜に未解決事件を語るわよ」というタイトルのスレッドが立っていたのですが、そこについたコメントの多くがタイトルの意図を組んで「それにしても●●事件は怖かったわよねっ」など、おネエ言葉になっていたのです。

ちなみにロシアの古典文学などを読んでみると「本当にお前は大馬鹿ものだよ。こんな息子を育てた愚かしい私を、果たして天はどう思うであろうか。ああ!」などと登場人物が思いの丈を率直に絶叫していることが多いので、やはりこの文脈力からの空気読み力は日本人特有なのかと思っています。

しかし、2017年現在、日本人根付いていたこの力は徐々に薄れいているような気がしています。平安時代は先ほどのように「明けぬれば 暮るるものとは~以下略」という遠回しな恋文を送っていましたが、現代人はLINEで

まじ、朝辛いんだけど。お前とずっといたいし。

とか、そのままの言葉を送っているのではないでしょうか。ちなみに不倫事件が起こるたびに、口にするのも恥ずかしいくらいの率直なやり取りが公開されますが、平安時代の和歌みたいな感じで遠回しの文脈であれば突っ込みにくいのではないでしょうか。

そして、世界を席巻しているインスタグラムもまた文脈がないソリューションなのです。それは写真という視覚が全てを処理するSNSだからです。(ちなみに私はスーパー文脈人間なので、ツイッターは楽しくても、インスタグラムが楽しめないです。)
しかし、インスタグラムの国内利用者は2000万人を突破したとかで、日本人もあるがままの写真をパッと見て、サッと楽しむカルチャーが根付いてきているのでしょう。
(とはいえ、日本にけるインスタグラムの普及スピードは世界に比べると圧倒的に遅かったため、やはりそこは民族性なるものが関連していたのかもしれません。)

ということで若年層を中心にこの脱・文脈みたいな傾向を感じなくもないです。特に若い人が書いた携帯小説とかを見てみると、文脈も何もなくて、現象とか登場人物の心理とかをそのまま普通に書き連ねている感じですよね。

ということで、2017年現在ではインスタグラムが普及しているわけですが、きっと平安時代の人はツイッターはやってもインスタグラムは受け付けなかったんじゃないでしょうか。

「ニンテンドーSwitch」は売れないと思った。ロジックが事実に反するとき。

事業の戦略や戦術練りは、会議室でロジックが練られるものですが、そこで出たロジックが往々にして事実に反することがあります。
前回のブログに引き続き任天堂の例になりますが「ニンテンドーSwitch」が大きく売れている中、何かのインタビューでポケモンの会社の偉い人(うろ覚えですいません)が「絶対売れないと思ってた。」と言っているのが印象的でした。
その方がなぜ売れないと思ったかというと「スマートフォンみたいな超小型端末がゲーム機として機能していて、みなそれを持ち歩いているのに、あんな鞄の大半を占拠するようなゲーム機を持ち歩く人はいない」という理由でした。

これは、ロジックとしてはしごくまともで、もし「ニンテンドーSwitch」の発売前にこの論は正しいかと人に問えば、たいていの人は「そう思う」と答えていたでしょう。
しかし、この方は発売後にSwitchを使ってみて、実際にSwitchを持ち歩くようになったといいます。それは、あまりにもゲームソフト(ゼルダの伝説)が面白すぎたからです。

机上で考えたロジックは「スマートフォンの何倍も大きなモニタごとゲーム端末を持ち歩く人はいない」というものでしたが、事実は「コンテンツが面白ければ、人は何だってやる(モニタも持ち歩く)」だったわけです。

このように事実がロジックに反する例は枚挙にいとまがなく、たいてい会議室で時間をかけすぎて出た案が、事実と異なるため結局使われないというケースをたくさん見てきたため、あまりロジックに時間を費やすのは適切ではないと思います。

ちなみにこの現象は、自分が対象顧客層でない場合は起こりやすくなります。対象となる顧客の気持ちを想像するしかないので、ロジックが占める領域が多いからです。その場合、いかに顧客の気持ちを想像出来て話を聞けるかという点が重要になりますが、ユーザーインタビューもやり方によってはもろはの剣です。なぜならば人は無意識に嘘をつくからです。

「ニンテンドーSwitch」の発売前に、端末の性能や発売されるソフトなどを説明した上で「これを持ち歩くか?」とユーザー調査をしたら、ほとんどが「持ち歩かない」と答えるでしょう。しかし、実際ゲームをプレイしてみて、ハマってしまうとモニターを持ち歩くようになるわけです。ユーザーインタビューで大切なことは、まだここにないプロダクトの説明をする意向調査にはあまり意味がないということです。むしろ、プロトタイプを作って、使ってもらうしか確認する術はありません。

また、事実がロジックに反する事象が頻発するのは、人が忘れやすい生き物だからです。「ニンテンドーSwitch」の例でいえば、ゲームはハードではなくてソフトで決まるというのはゲーム機登場以降延々言われて続けてきたことであり、さきほどの方がゲーム会社の関係者である以上、これまでも寝食を忘れてゲームにハマった経験があるはずですが、ロジックを考える時に、そういった前提の体験を忘れていることが多いのです。

ということで、ヒットするサービスやプロダクトを生み出せる人は、人間の心理行動をプリミティブな形で把握することに長けていると思います。(逆に、ロジックで考えている多くの人は、人間の心理行動に沿わずに「こう使って欲しい」という形でユーザーに提示してしまうケースが多いように思います。)

ちなみに、これがとても上手いのはサイバーエージェントの藤田社長なのではないかと思います。「AbemaTV」のオプションの一つとして、フロー型のコンテンツではなくてストック型のコンテンツにするという案もあったはずですが人間は能動的ではなく受動的な生き物であるという普遍の事実に基づいて、今の番組を流すフロー型のコンテンツにたどりついたといいます。
その他にも、人間の心理導線をかなりとらえていると思われるスキームの例として、マンガアプリ(特にピッコマ)や、秋元康さんがプロデュースするアイドルもかなり人間の心理導線に基づいて設計されていると思っています。

任天堂が、市場に欠けているピースを見つけるのが上手い理由

新規の事業やサービス、プロダクトを作る際に重要なのは、今起こっている現象において「欠けているピース」を見つけることです。例えば、どこかの街で八百屋さんを始めようと思ったとします。その街での野菜の消費量のデータを見たところ、とびぬけて大根の消費量が高かったとしましょう。すると、たいていは大根が売れているようだから、たくさん大根を仕入れよう、という結果になりますが「欠けているピース」を探すのがうまい人は「大根がたくさん売れているのは、単に産地が近くて安いという理由だから、その他の野菜も仕入れルートを開拓して値段を下げれば大根に飽きている人たちに、たくさん売れるはず」と、目の前に見えている現象に欠けていることをさぐろうとします。

任天堂は常にゲーム機においてコレをやってきたと思うのです。ニンテンドーWiiは、プレイステーションなどのゲーム機がどんどん高機能化し、マニアックなゲームユーザー向けになっている現象を見て、お母さんや子供たちも一緒に遊べる家庭用ゲーム機のピースが欠けていることに気づいて投入されたゲーム機です。

その後、スマートフォンの普及を受けてソーシャルゲーム全盛となり、もうコンソール機の需要はなくなるのではないかと言われている中で「本当のゲーム好きが遊べるハードウェアがない」という欠けているピースに対して発表したのが「ニンテンドーSwitch」なのだと思います。

任天堂以外にも、急成長を遂げる会社というのはこの「欠けているピース」を探すことに長けています。「欠けているピース」は人々の直感に反する(家庭用ゲーム機が売れるわけがない、ソーシャルゲーム全盛の時代にハードウェアなど買わない)ため、大企業が資本を投下して入りにくいからです。
例えばLINEもスマートフォン時代になってからメールというソリューションが遅れていることに気づいた会社ですし(正確に言うと先行のカカオトークの方がより先にそれに気づいていたわけですが、その市場が爆発的に成長すると確信して資本を投下し続ける決定が出来たのはLINEですね)、同じくメルカリもスマートフォン時代になってからオークションではなくて簡単にモノのやり取りをしたいと気づいた会社ですね(これもLINEと同じくすでにフリマアプリの競合は数社存在していましたが、市場の爆発的な伸びを最も確信していたのはメルカリでしょう。)

このように、急成長を遂げるためには欠けているピースを見つける力が非常に重要です。ペイパル創業者の一人であるピーターティールが著書の「ZERO TO ONE」にて「競争するな、独占せよ。」「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」と問いかけているのは、まさにこのことだと思います。

このピースを見つけることが上手い条件のひとつとして「物事を構造化してとらえられる体系的な知見」が挙げられますが、加えて最も強いのは自分自身が顧客であるという当事者の場合です。
例えばアメリカで急成長と遂げたチャットサービス「スナップチャット」は、投稿から一定期間で投稿した写真やテキストが消えるというサービスでした。チャットサービスがすでに爆発的に流行っているという現実だけ見ると、もはや参入余地がないように見えますが、それを使っていた当事者の若者にとっては「バカみたいな写真とか、うんこって送ったらずっと履歴が残るのは嫌だなあ」というニーズがあったわけです。

そして、任天堂も同じくこの当事者である顧客の視点を持ち続けていることが非常に強いことなのであろうと思います。それゆえにハードウェアにおいて時折失敗をしつつも、当事者視点がブレないため、その時において欠けているピースに気づき、そこのハマるプロダクトを提供し続けることが出来るのです。

それは創業者である山内溥氏の「任天堂は娯楽の会社で、娯楽以外はしないほうがいい。」という言葉にも現れています。徹底的に娯楽を扱い、娯楽についての当事者意識を持っているからこそ、娯楽を求める顧客にとって大切な価値を気づけるのでしょう。

これは「儲かっている市場に投資して、儲かるのであればどんな事業であってもやる」という昨今の新興企業とは異なるフィソロジーです。企業が長期的に存続し続けるためには、ある市場において企業文化レベルで当事者になることが出来るフィソロジーが重要なのかもしれません。

新しいテクノロジーが、不便をもたらす理由

新しいテクノロジーは、一般的に生活を便利にすると言われています。例えば家電の登場により家事が楽になったであるとか、携帯電話の登場によりいつでもどこでも連絡がつながるようになったとか、常に新しいテクノロジーの登場によって便利さがもたらされてきたとされています。

しかし、実はそれほど便利ではないのです。
便利かどうかの判断というのは、それを使っていて「便利だなぁ」と思う人間の主観が入って完成します。今、毎日のようにスマホを触っていて「スマホがあって便利だなぁ」と思う人はいないでしょう。なぜならばスマホがある生活というの、みんなにとって「普通」になってしまっているからです。

と、このように新しいテクノロジーの登場後しばらくは「便利だなぁ」と思いながらその恩恵を受けることになりますが、やがて時間たってくるとその状況が常態化して「普通のこと」になるので、特に便利だとは思わなくなるのです。

そして、テクノロジーの恩恵が常態化すると、現在が便利であるのではなく、以前が不便であったということになります。私たちは今スマホを手放した生活は考えられません。スイカなどの交通電子決済カードがなくなるのも無理な話です。さらに、冷蔵庫や掃除機などの家電製品がなかった時代の生活に戻ることも絶対できません。テクノロジーの発達による流れは不可逆なのです。

これはお金持ちに少し似ています。年収数百万円代の人は、年収一千万以上の人を「お金持ちで羨ましい」と思いますが、年収一千万の人はその状況が本人にとって普通であるため「年収一千万もあってありがたないなあ」とはそれほど思いません。むしろ年収数百万円代に減ってしまうことを不便だと感じるでしょう。この流れも不可逆なのです。

このように新しいテクノロジーの恩恵を受けている人は、それを「普通」と感じ、過去のことを「不便」と感じて不可逆になります。しかし、古いテクノロジーにとどまっている人たちは、自分たちの状況を「普通」と感じます。
現在あらゆるところで、この層の二極化が起こっているように思います。

例えば電子決済です。少し前に社会学者の方が「コンビニで現金を使う人は頭が悪い」という発言をしたとして話題になりましたが、この社会学者の方にとって電子決済というテクノロジーは「普通のこと」なので、現金を使っている人たちとその状況を「不便」であると感じるのです。
(付け加えると、レジに並んでいる人に現金派の人がいれば、待ち時間が長くなるため電子決済派の人は不便を感じやすい構です。)

仕事の面においても、仕事上のコミュニケーションとしてチャットという新しいテクノロジーが登場しています。IT企業を中心としてチャットワークやslackなどのチャットツールで仕事をしている企業が増えていますが、それでも以前メールを使っている企業がたくさんあります。これも、チャット派の人からすると「メールなんか、たるくてやってられない」と、不便を感じるわけです。

産業革命以降、交通・物流の発達や、家電の発達、スマートフォンという情報電子機器の発達あたりまでは、全員が同じエスカレーターに乗ってテクノロジーを享受していたため、この分断が見られなかったのですが、ここに来てさらに新しいテクノロジーの便益を受ける人と、そうでない人たちとの間に溝が生まれつつあるように思います。

しかし、冒頭にあるように新しいテクノロジーから受ける生活は不可逆になるため、この差がうまることはなく、もっと広がっていくでしょう。この両者の差はお金持ちとそうじゃない層の差にも似ているという話をしましたが、貧富の二極化という傾向に加えてテクノロジーに対して乗るかそるかの二極化というのも広がっていきそうです。

独占する事業を作るには、おじさんに分からないサービスを。

ピーターティールが「ZERO TO ONE」でしきりに競争するな、独占せよ。と言っていました。著書の冒頭に「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」という問いがあるのですが、誰もそんなもの流行ると思っていないけれど、本当はすごくニーズがある(あるいは出てくる)ポイントに着眼する必要があるということです。

頭の良い人たちというのは、定量的なデータを渡されたら等しく頭良く考えて同じ結論に達するため、競争が起こます。なので、独占するサービスを作るには、だいたいの人たちが流行らないと思っているけれど、実はものすごく需要のある市場に注目する必要があるのです。

これを日本でつきつめると「おじさんに理解出来ないサービスを作る」というのが、独占する事業を作るカギになります。日本は先進国の中でもダントツで女性の社会進出が進んでおらず、決裁権を持っている偉いひとたちは”おじさん”ということになります。
そういう”おじさん”たちにとって、市場ニーズがあると思えない領域のサービスであれば参入してこないわけです。

例を挙げると初期のクックパッドなどは、偉いおじさんたちから投資を断られまくっていたそうです。家で毎日料理をしないおじさんたちにとっては、毎日見られるレシピの重要性が理解出来なかったんですね。

あとはピクシブなんかもそうだと思います。後からよくよく考えるとコミックマーケットがあれだけ盛り上がっていたり、自分の描いた絵を見てほしいという欲求はすごく多かったと気づかされるのですが、会社の中で一日じゅう過ごして家に帰る生活を送っているとオタク文化や絵師の文化に触れる機会はないわけで、その潜在的なニーズには気づけないわけです。

ゆえに、会社の偉いおじさんたちから見て異世界の分野だけど、一定量需要があるみたいなところが、勝ち筋なんだなと思います。

このロジックと合わせて、可処分所得がそれほどない前提で考えるというのが、重要になってくる気がしています。企業の中で新規事業を考える人はそこそこお金持ちなので、自分の可処分所得ベースで考えてしまいます。
例えば「メルカリ」についても「モノを売った金額より、モノの写真を撮って交換したり、発想する手間に係る時間コストの方が大きくなる」なんて考えてしまいがちです。
しかしZOZOTOWNのつけ払いがめちゃくちゃ利用されていたり、「CASH」が利用停止になるほど使われていたりということを考えると、目の前のマイクロクレジットへの需要がものすごくあるわけです。

ということで、自分の周りのクラスタとは別にマジョリティが世の中にある、という前提に立つことが大事ですし、毎日ちゃんと”生活したり””遊んだりする”という一連の行動が、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実」という思考に結びつくように思います。

キングコング西野さんが言うところの「人気タレント」と「認知タレント」の違い

キングコング西野さんのブログ「『認知』と『人気』の違い。」がとても興味深いです。

少なくとも『はねるのトびら』だけでも毎週2000万人以上の人が見てくれていたのに、
営業などで地方に行くとキャーキャー言われていたのに、単独ライブの集客となると400~500人がやっと。

ここには、『認知』と『人気』の違いがありました。

昔は認知(テレビに出てる)=人気だった

昔は大きな力を持つメディアが、ほぼテレビしかなかったので、テレビに出ている=人気タレントだったのです。日本国民みんながその人のことを知っている、いわゆるスターというやつですね。つまり、認知を取ればすなわち人気につながる時代でした。

だから、テレビ的にはものすごい才能を持ったスターの発掘が重要な仕事で、美空ひばりさんとか山口百恵さんとか、スターの原石を頑張って探して、テレビで認知をマックスに持っていくことによって人気タレントが作られていたのです。

しかし、今ではテレビ以外のメディアが多様化した上に、Youtubeなどの一大動画プラットフォームも出来たので、テレビに出ている=一定の認知は取れるけど人気タレントにはならない、という図式が出上がりました。

人気タレントの普遍的なモデル=「好きモデル」

現在における「人気タレント」のモデルとして、2種類あると思っています。一つは今も昔も変わらない普遍的なモデルとして、その人のことが好き=好きモデルというのがあります。「当たり前じゃん」と言われそうですが、この場合の”好き”はほぼ恋愛感情に近いということです。その筆頭がアイドルグループになるわけですが、若年層は、今も昔も自分と同世代か少し上のアイドルにハマる時期があったりします。
”好き”という感情は人間の本能に近い感情なので、タレントの音楽も聴きたいし、本人の姿も見たいし、私生活にも興味あるという非常に熱量が高い状態になります。

昔は、テレビのブラウン管によってファンとの距離感が保たれていたのですが、AKBが「会いに行けるアイドル」というコンセプトを打ち出した頃から、両者を隔てる壁が一気になくなったため、人気タレントとファンの距離が近くなりました。
さらに、タレントはインスタグラムやツイッター、動画のライブ配信ツールなどのチャネルを複数使っており、テレビはそれらのチャネルの中でも最も伝播力が大きいもの、という位置づけになっているわけです。

つまり、”好き”という人間の本能的な感情に応えるアイドルグループは今も昔もずっと存在していたのですが、接触チャネルの多様化やファンとの距離が狭まっています。

新しいタイプの人気タレント=「共感モデル」

そして、新しいタイプの人気タレントは共感型のタレントさんです。インスタグラムやツイッターなど、ファンに直接メッセージを届けられるツールが発達したため、自分の主義主張を直接届けられるようになりました。このタレントの行動や思想に共感するファンという関係値が、今後増えてくるのかもしれません。
(ただし、海外ではエージェント制度をとっているため、タレントは比較的自由に政治的発言などが出来るようですが、日本においては事務所側の制約が大きいのでなかなか生まれずらい環境ではあるのでしょう。)

ちなみにAKBについては、そもそもの「好きモデル」とともに、ファンとの距離を近くしたり、メンバーに直接メッセージを発信させることによって「共感型」も組み合わせようとしているように思えます。
AKBのファンの人たちは、押しメンを選んだ理由は、その人の背景の物語込みであることが多く、そのへんの物語を本人たちに発信させるなどしてファンに可視化することで、共感の関係も結ぼうとしているのかなと思います。
自分の言葉で毎日自分のメッセージを発信しているYoutuberなどもその最たるものですね。

この「好きモデル」と「共感モデル」の組み合わせを理解しておかないと、タレントとしてのコンテンツの出し方という点において、うまくいかなくなります。
以前アーティストのオフショットや限定メッセージを見られる有料携帯サイトを運営していたのですが、パンクジャンルに属するバンドのファンの登録者数はとても少ないものでした。それは、パンクについてはアーティストが提供するパンクの音楽やライブという音楽体験にファンが共感しているからであって、アーティストに「好き」の感情を抱いていないからです。逆に「好き」の方が強いビジュアル系バンドはオフショットなどへのニーズが強いため、登録数が多くなります。

ということで、人気タレントについて、テレビ以外のメディアの多様化とともに、共感型のタレントが今後登場していくと思われますが、ひとつ難しいのは「共感型」のみだと、その関係値を数値で測りづらいところです。

例えば、広告代理店がよく出してくるソーシャル上の影響力を図る指標としてエンゲージ率というのがあります。
これは、タレントが発信した情報がどのくらい「いいね」されているかの率を図る指標ですが、「好き」タイプのタレントだとフォロワーが若年層ということもあって明確に高くなりますが、「共感型」のみのタレントさんだと指標が出ずらいのです。

例えば大量の「好き」を獲得してるであろう菅田将暉さんのこのツイートを見ると


12,601のLikeを取っており1,981,299のフォロワーがいるので、エンゲージ率0.6%です。

そして「共感」をすごく獲得しているであろう堀江貴文さんのこのツイートを見ると


723のLikeを取っており2,807,953のフォロワーがいるので、エンゲージ率0.03%と一桁も低いのです。

「好き」という本能的な感情が介入しない「共感」型のタレントさんの場合は、その主張なりを見れば納得するので指標には表れにくいんですね。
このあたり、注視率とか新しい何らかの指標があると良いのかなという気もします。

半径5メートル内にウケるコンテンツの時代に

前に聞いた話で本当かどうか分からないのですが「エンタの神様」というお笑い番組において、スタジオでネタがウケすぎるとカットされると聞いたことがありました。
話を聞いたときに、さもありなんと思ったのですが、テレビとはお茶の間の様々な年代層に均質にコンテンツを届けないといけないわけで、スタジオで爆発的に異常な盛り上がりを見せると、お茶の間との温度差が出て、観ている側がポカンとしてしまうわけです。

逆に、深夜のバラエティ番組なんかは、観ている層がある程度限定されるため、その後伝説的な番組として語り継がれたりして、コンテンツを取り巻く熱量が高くなります。(そして、ゴールデンに移るとその熱量が失われて、一気に初期のファンが去っていく)

このように、テレビ全盛期はお茶の間との温度感を合わせたコンテンツが提供されていたわけですが、今後は半径5メートル以内の近しい人に共感してもらえるようなコンテンツが、主軸になるのだと思います。

例えば、20代後半以降の人に、そこそこ有名なYoutuberの名前を言っても、認知度は高くないです。逆に、20代以下の若年層に圧倒的知名度を誇るYoutuberは大勢います。Youtuberをフォローしている人たちは、憧れというよりも共感の気持ちの方が強いのではないでしょうか。
面白系の動画を多数投稿しているYoutuberのフォロワー的には、クラスメートの面白い〇〇くん(さん)が、面白いことをやっている、みたいな内輪のノリで見ているのではないかなと。

テレビ番組などを製作してきた人たちにとっては、テレビのコンテンツとは、何かすごいコトやモノを提示することだったりするのですが、現在のネットコンテンツに親しんでいる人にとっては「共感」が先に立つため、自分がシンパシーを感じるクリエイターの発信を見ている方が、肌になじんでいる気持ちになるのです。

例えばゲーム実況もそうで、ゲーム自体に興味あるから実況を観るというよりは、実況者の実況という名の「おしゃべり」を「うん、うん」と頷きながら聞いている感覚なのです。
小中高生なら、だいたい経験のある、友達の家に行って誰かがプレイしているゲームにあれこれ注文をつけながら、スナック菓子を頬張っていたあの光景が、今まさにインターネット空間で再現されているのではないでしょうか。
(そういう意味でいうと、やり方はあれでしたが女子大学生を集めて、女子大学生にウケるコンテンツを作成していたMERYは、そういった共感型のメディアを作ろうとしていたのでしょう。)

ちなみにYoutubeの例に戻るとチャンネル登録数数万程度で、ガジェットだったり、写真だったり、何かに特化したコンテンツを発信し続けている人たちがたくさんいます。
このように、知っている人は知っている濃度の濃いコンテンツが、無数に広がっていくのが今後のコンテンツの形なのかなと思います。